佐藤恵允はSNSのアンチコメントには屈しない パリ五輪で「評価をひっくり返したい」

  • 了戒美子●取材・文 text by Ryokai Yoshiko

パリから世界に羽ばたく若武者たち(1)
U-23日本代表FW
佐藤恵允インタビュー(後編)

◆佐藤恵允・前編>>久保建英は同世代の「とんでもないヤツ」

 佐藤恵允は早い時期から、オリンピックを意識していたという。一番早く活躍する道を考えた結果、佐藤は日本国内でプロになるのではなく、明治大4年生の昨年夏にドイツ1部ブレーメンへ移籍することを決断した。

 だが、プレーするのはブレーメンのトップチームではない。加入したセカンドチームは、ドイツ5部リーグに所属している。決して高いレベルとは言えない環境で、佐藤はどのように自分を奮い立たせて戦ってきたのか。

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現在ブレーメンに所属している佐藤恵允 photo by Hara Etsuo現在ブレーメンに所属している佐藤恵允 photo by Hara Etsuoこの記事に関連する写真を見る── ブレーメンのセカンドチームは5部リーグ所属。初めての海外で、スタートはけっこうハードだったと思います。

「正直、5部リーグは相手にならなかったですね」

── 5部リーグはアマチュアリーグ。心が折れそうになったりすることも?

「ひとつひとつの瞬間がトップ契約に結びつくと思ってやっていました。レベルに関係なくそこでしっかりと存在をアピールすることが大事だと。すぐとなりでトップチームが練習しているので、活躍すればトップに行けると信じてやっていました」

── 同じ敷地内ですもんね。

「でも、トップチームにベンチ入りするようになって試合に出られなかった時は、メンタル的に『うわーっ!』ってなりました」

── どう解決していきました?

「出られないってことは、まだ実力が足りないんだなって。だから、やり続けようと思いました」

── 磨いていったプレーはありますか?

「トップチームの練習に参加していて、一人ひとりのプレーエリアが広いと思いました。たとえばボールの持ち方ひとつでも、日本の大学では取られなかった場所が、海外では平気で足が伸びてきてボールを取られちゃう。そういう経験を何度もしました。なので、今は常にボールを動かすように心がけています」

── ボールの持ち方や動き方は、ドイツに来て少しずつ変えてきたのですね。

「それによって余裕が出てきたというか、だいぶ自分のプレーを出せるようになりました」

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著者プロフィール

  • 了戒美子

    了戒美子 (りょうかい・よしこ)

    1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。

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