元ヤングなでしこ・田中陽子が振り返る20代 「戸惑った」こともある日本時代、スペインのサッカーは「楽しかった!」

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko

仁川現代製鉄レッドエンジェルズ(韓国) 
田中陽子インタビュー 前編

2012年に日本で開催されたU-20女子W杯で"ヤングなでしこ"の一員としてチームを牽引し、一躍脚光を浴びた田中陽子。2019年に日本を離れてスペインへ渡り、現在は韓国の仁川現代製鉄レッドエンジェルズでプレーしている。5月10日に行なわれた「AFC Women's Club Championship」(AFC女子クラブチャンピオンシップ)に韓国チャンピオンとして凱旋するも、ケガのため無念のベンチだった。30歳になった田中陽子は、いま何を思うのか。韓国で本人をインタビューした。

田中陽子は現在、韓国の仁川現代でプレー。5月の浦和レッズレディースとの試合は残念ながらケガで出場できなかった photo by Hayakusa Noriko田中陽子は現在、韓国の仁川現代でプレー。5月の浦和レッズレディースとの試合は残念ながらケガで出場できなかった photo by Hayakusa Norikoこの記事に関連する写真を見る

【INACで3年、ノジマで4年半】

――田中さんがトップリーグのサッカーに触れたのは、2012年、なでしこリーグ時代のINAC神戸レオネッサでした。JFAアカデミーからの入団で、時はなでしこジャパンが前年のワールドカップで優勝した直後ということもあり、難しいことも多い時期でしたよね。

 澤穂希さん、大野忍さん、近賀ゆかりさん、川澄奈穂美さん......とにかくプロ意識の高い、"世界"を目指している人たちがINACには集まっていました。そういう環境でサッカーを極めていくチームのなかで、当時の私は10代と若くて、ゲームを作るっていうよりは、シュートとかが得意でその特長を出すことで必死でした。とてもシビアな世界でしたけど、アカデミーとは違う刺激をもらえました。

――悩みながらもINACでの3シーズンを経て、今度は当時なでしこ2部だったノジマステラ神奈川相模原へ移籍を決めます。

 いろんな意味でINACとは全く異なるチームでした。端的に言うと、ノジマは"みんな一緒"。試合が終わった次の日の練習試合も、出場はしないけど、サブメンバーと一緒にグラウンドにいるし、走りメニューも同様です。

――練習グラウンドの隣に寮があったりといった一体感は、ノジマならではですね。その一体感から得られるものもありましたか?

 はい。(サッカーは)チームだけど"個"でもあるし、それまで自分は個を磨く環境にいたからこそ、一生懸命やるなかでも"一体感"っていうのをすごく感じたくて移籍を決意しました。とはいえ、女子スポーツってちょっと難しいところも実際にあって、上を求めれば求めるほど意見のぶつかり合いでギクシャクしちゃったりとか、難しい。どのチームよりも一体感を大事にするノジマというチームに行った時に、最初はサッカーへのモチベーションがこれまでと真逆だったので戸惑うこともありました。

――そういうバラつきを菅野将晃監督(当時)がまとめ上げていました。

 私は当然、既存のチームに入ることになるんですけど、ほかにも個性ある選手が一気に入団した時期でした。初めての移籍だし、周りに合わせることが難しくもあったんですけど、菅野さんがいることで不思議と一つになるんですよね。自分たちで「こうしよう」「こうしたい」って話ができるほど力がなかったから、そこはちょっと寂しい部分でもありましたけど、チームをこうやって一つにまとめていくんだなっていう過程を学ぶことができました。

――それはとてもパワーを必要としますよね。

 実際、菅野監督はすごくパワーを使っていたと思います。まだ監督に対するサポート体制もしっかりしてない時代だったから、チームの強化だけでなくグラウンドの草むしりまで監督が全部やってました(笑)。でも、そういう監督の行動とか心が見えるから、選手たちは付いて行きたいと思うんですよね。

 外から来た身としては、そういう場所に適応することが大事で、上のカテゴリーから来たからといって自分に合わせてもらうなんて傲慢ですよ(笑)。今までそれで一つになってやってきたチームだから、まず自分がそこに適応することを楽しみました。初めての移籍はまずそこを学びました。練習は一生懸命やったし、身体のケアにも時間を割いたし、自主練習も欠かすことはありませんでした。すべて自分次第なんですよ。それを22、23歳くらいで悟りました(笑)。

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プロフィール

  • 早草紀子

    早草紀子 (はやくさ・のりこ)

    兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。

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