五輪サッカープレイバック 2008年北京大会は成績最悪もその後のA代表メンバーの数はトップクラス (2ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki

 このときの最終予選は五輪前年のうちに終了し、本大会までに十分な準備期間があったこと。それによって、年明け早々にアメリカ遠征を実施して新戦力の発掘を行ない、5月にはフランス遠征で強豪国と戦い、最後の見極めをした。それだけのことができる活動があったからこそ、可能になったのである。

 とはいえ、最終予選の修羅場をくぐった"功労者"たちを多く外したことに、当時は批判的な意見も少なくなかった。

 しかも、肝心の北京五輪本番は、グループリーグで3戦全敗。1勝はおろか、勝ち点1すら挙げることができなかったのだ。

 五輪が基本的に23歳以下の大会と位置づけられるようになって以降、日本は1996年アトランタ五輪からすべての大会に出場しているが、1勝もできなかったのは北京五輪だけ。3戦全敗は今なお"単独最下位"の成績である。

 ただし、苦戦は大会前から予想されたものでもあった。

 思うようにオーバーエイジの招集がかなわず、チームは"純U-23代表"で挑むことになったうえ、五輪本大会で同組になったのは、対戦順にアメリカ、ナイジェリア、オランダと難敵が揃っていた。とりわけナイジェリアとオランダは、この世代の世界屈指の強豪国だった。

 それだけに初戦のアメリカ戦は勝たなければいけない試合だったのだが、過度の緊張からか、選手の動きは硬く、0-1の惜敗。続くナイジェリア戦、オランダ戦でも力負けし、3連敗に終わった。

 だが、北京五輪での結果はさておき、反町監督の選手選考が決して間違いではなかったことは、その後の選手たちの歩みが証明することになる。

 同じ頃、2010年南アフリカW杯を目指していたA代表は、イビチャ・オシム監督が病に倒れ、岡田武史監督が突如指揮を任される事態に陥っていた。そんな緊急事態にあってチームを救ったのは、北京世代だったと言ってもいいのかもしれない。

 ワールドカップ出場を決めた最終予選のウズベキスタン戦には、長友佑都、岡崎慎司が先発出場。しかも、決勝ゴールを決めたのは、それが最終予選初先発の岡崎だった。

 また、ワールドカップ本大会では、本田圭佑が大ブレイク。グループリーグ初戦のカメルーン戦で先制ゴールを決め、デンマーク戦でも直接FKを決めるなど、一躍、時の人となっている。

 加えて、北京五輪の登録メンバーからはギリギリで漏れた伊野波雅彦や青山敏弘も、2014年ブラジルW杯では登録メンバー入りを果たしている。彼らも含め、層の厚い世代だったと言えるだろう。

 結局、北京五輪の登録メンバー18人中、半数の9人がのちにワールドカップの登録メンバーに選ばれることになる。

◆北京五輪代表メンバー
【GK】山本海人、西川周作【DF】水本裕貴、長友佑都、森重真人、安田理大、内田篤人、吉田麻也【MF】本田拓也、谷口博之、梶山陽平、細貝萌、本田圭佑、香川真司【FW】豊田陽平、李忠成、岡崎慎司、森本貴幸

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