「史上最強」と称された日本代表。今野泰幸が明かす2014年ブラジルW杯、チーム崩壊の経緯 (2ページ目)
無料会員限定記事
「最初は『なんで?』と思ったし、城福さんには腹が立ちましたよ。でも、『後ろからつないでいって、チャンスであれば攻撃参加してもいいし、ボランチみたいな感覚でセンターバックをやってくれ』『センターバックでトップオブトップを目指してくれ』って言われて、センターバックをやってみようと思うようになりました。同時に(自分がセンターバックに入って)チームの調子がよくなったことも大きかったです」
そうして、日本代表でもセンターバックを務めるようになった今野は、ザッケローニ体制の初戦となったアルゼンチン戦でも同ポジションに入って1-0の勝利に尽力。翌年のアジアカップでも吉田麻也とコンビを組んで最終ラインを守り、チームの優勝に貢献した。
アジアを制して以降、今野のポジションはセンターバックで不動となった。ザッケローニは主要メンバーをある程度固定して、チーム作りを進めていったからだ。
「(日本代表の)レギュラー陣はメンバーがほぼ変わらなかったので、それぞれわかり合って、連係はどんどんよくなっていきました。特に攻撃面では、その影響が大きかったと思います。
ザックさんは、守備よりも攻撃の練習がかなり多くて、いつも同じような練習をするんですよ。僕は左サイドで、長友(佑都)と(香川)真司と3人で連係して攻撃していく練習を繰り返していたので、試合の時もすごくやりやすかった」
攻撃に力を注いでいることもあって、練習の際には監督から常に細かい指示が飛んできた。
「僕がドリブルで持ち上がった時、真司は中に入っていき、長友はオーバーラップする。そこで僕は、長友にパスを出せるし、真司にも出せる。真司に出した場合、真司がフリーならターンできるし、ターンできなければボランチに落として、ボランチから内へという形を作る。
練習ではそうしたことをタイミングよくできるまで繰り返すんですよ。タイミングが少し早かったりすると『ちょっと違う』ってよく言われたんですけど、最初のうちは何が悪いんだろうって思うこともあったりして......。(監督からの)要求はかなり細かかったですね」
2012年から始まったW杯アジア最終予選では、そういった練習とメンバーを固定することで安定した強さを見せ、難なく本大会出場を決めた。だが一方で、欧州や南米のチームとの対戦では苦戦することが多く、香川、本田、岡崎慎司、遠藤保仁らは攻撃に変化をつけるべく、細かいパスワークでの崩しも実現しようとしていた。
全文記事を読むには
こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録より「集英社ID」にご登録ください。登録は無料です。
無料会員についての詳細はこちら