「日本をなめんじゃねぇぞ」。松田直樹が語っていた日韓W杯の熱狂とベスト16敗退
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ワールドカップ・敗北の糧(2)
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「日韓ワールドカップに向けた熱は異常で、それまで感じたことがないものだったよ」
2002年の日韓ワールドカップ、フィリップ・トルシエが率いた日本代表の中心メンバーのひとりだった故・松田直樹(横浜F・マリノス/当時、以下同様)は、かつてそう告白していた。
「(ワールドカップに向けて)世間はお祭り騒ぎのようになっていたね。絶対に負けられないって。いつも見られている気がしていた。少しも気が抜けなくてさ。もちろん、気合いを入れて大会に挑むために身体を追い込んだ。いつ肉離れしてもおかしくないくらいまでやるんだけど、きつさは感じなくて。マゾのようなもんだった。負けるよりもよっぽどましだったから。人生のすべてというか、熱くなって自分で自分をコントロールできないところもあったから、(大会前は)インタビューは受けなかったね」
燃え尽きるような感覚で挑む。松田の言葉は、当時の日本サッカーの世界の中での位置を示していた。
2002年W杯でトルコに敗れた試合後の松田直樹と小野伸二 2002年6月18日、宮城。ベルギー、ロシア、チュニジアとのグループリーグを2勝1分けで勝ち抜いた日本は、決勝トーナメント1回戦でトルコと対戦している。戦力的にはわずかに上の相手だったが、ホームアドバンテージと勢いを考慮に入れたら、勝てない相手ではなかった。
しかし雨で煙るスタジアムで、戦いの気運は盛り上がっていない。スタジアムは交通アクセスが悪く、町の熱気とは無縁の立地だったからか。グループリーグで見せた敵を併呑する勢いは、どこかに失せていた。
連戦による消耗も重なっていたはずだ。
稲本潤一(アーセナル)、小野伸二(フェイエノールト)、中田英寿(パルマ)など、海外組主力の動きは押しなべて重かった。2トップは鈴木隆行、柳沢敦(ともに鹿島アントラーズ)をベンチに置かざるを得ず、西澤明訓(セレッソ大阪)、三都主アレッサンドロ(清水エスパルス)が初先発するなど、急ごしらえだった。
「やったことのない組み合わせで、選手に迷いがあった」
それは多くの選手が感じていた当惑だ。
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