清原和博、小久保裕紀、ローズ、ペタジーニ...仁志敏久が振り返る巨人軍超重量打線「来年は誰が来るんだ?」「さすがに獲りすぎ」
仁志敏久インタビュー(前編)
1990年代後半から2000年代初頭、巨人のリードオフマンとして大活躍した仁志敏久氏。その一方で99年から4年連続ゴールデングラブ賞を獲得するなど、守備の名手としても名を馳せた。あらためて巨人時代の思い出を語ってもらった。
2004年は1番打者として28本塁打を放った仁志敏久氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【ポジショニングの極意】
── 仁志さんと言えば、打球方向を予測して守る"ポジショニング"が有名で、1999年から4年連続してゴールデングラブ賞を受賞されました。
仁志 投手の配球や打者の打球傾向などを総合的に判断して、限りなく確定に近い形で守っていました。科学的に証明されていたわけではないですが、自分なりに根拠を持って守っていたつもりです。
── 当時、他球団の二塁手には立浪和義選手(中日)やロバート・ローズ選手(横浜)らがいました。目標にする選手やライバルはいたのですか?
仁志 結果的に4度ゴールデングラブ賞をいただきましたが、プロ入り時、守備は大の苦手で、鍛えられてなんとか守れるようになったんです。だからライバルとか目標ということではなく、若い頃は自分自身に磨きをかけることばかり考えていました。
── よく「ショートが内野で一番難しい」といったことを聞きますが、二塁手は左右逆方向にスピードを要求される動きが多いのでかなり難しいと思うのですが。
仁志 学生時代まではショートを守っていましたが、当時は自分の身体能力だけでプレーしていたような気がします。プロでは最初はサードでした。セカンドの細かい動き、技術に関しては、実際にやってみないとわからないこと、やらないと覚えられないことがたくさんありました。
── 守備でもっとも気をつけていたことは何ですか?
仁志 スタートをいかに早くきるか、ということです。先述のポジショニングに関しても、ある意味、そこに含まれます。打者の打球を予測して守るわけですが、スタートが悪ければ追いつけない時もあります。そうならないためにも、一歩目のスタートは気を遣っていました。
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