周東佑京はWBC準決勝で大谷翔平の代走はないとわかって頭を整理「還ったらサヨナラだな」
第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、2009年以来14年ぶり3度目の優勝を果たした。世界一の軌跡を選手、首脳陣たちの証言とともに振り返ってみたい。
WBC準決勝で村上宗隆の安打でサヨナラのホームを踏んだ周東佑京 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【試合中ベンチ裏で体育座り】
WBC準決勝の試合中、周東佑京はベンチ裏の通路の隅でヒザを抱えて体育座りをしていたのだという。
「あれは自分を落ち着かせようとしていたんです。焦りたくなかったので......そういう時に僕、体育座りになっちゃうんですよ。なんか、小っちゃく小っちゃくなっちゃうんですよね(笑)。ゆったり座るんじゃなくて、ヒザを抱えてうずくまる感じ。子どもの頃からそうでした。傍から見たら落ち込んでいるように見えるかもしれませんが、へこんでいるわけじゃない。あれは集中しようとしているんです」
マイアミでの準決勝は試合が進む。周東に出番がないまま、日本は4−5とメキシコに1点のリードを許して9回裏の攻撃に入った。
先頭の大谷翔平がツーベースヒットを放って、吉田正尚がフォアボールを選ぶ。ノーアウト一、二塁となって、吉田の代走に周東が送り出された。体育座りをしていた周東が、上を向いてベンチを飛び出す。
「あの場面、一塁は逆転サヨナラのランナーでした。ホームへ還りたい気持ちを抑えながら行きたかったので、ギリギリまで気持ちを落としておいて、一気に集中しようと思っていました。準決勝ではリードを許す展開でしたけど、いずれ点差(6回の時点では3点のビハインド)は詰まると思っていましたし、自分が行くところをイメージしながら準備をしていました。早い回に出番があるんじゃないかと思っていたので、動き出したのは6回くらいだったかな」
準備段階での周東はあまりストレッチをしない。ほとんど走るスペースのないマイアミのローンデポ・パークで5メートルちょっとのスペースを確保してダッシュを繰り返し、軽くバットを振ることで身体を動かしていた。さらに、周東が代走で出て行く時に投げていそうな相手ピッチャーを予想して、そのデータや映像を見ていたのだという。
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。