ベイスターズ史上最強助っ人、ロバート・ローズの日本での後悔「自分の仕事じゃないって放棄していた」 (5ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu
  • photo by Sportiva

── 生活だけでなく、恐怖の感情すらも野球に全振りしていたんですね。

ローズ だけど、僕の挑戦はまだ成功したとは言えない。リアンナが「パパの飛行機には絶対に乗りたくない」って言うんだよ。なぜなら初めてのフライトの時、操縦を誤ってしまい、機体が真っ逆さまに落ちてしまったんです。その瞬間、「あ、死んだ」と覚悟しました。でもあきらめなかったんだよ。まだ死んではいけないと思って、必死にストールを立て直してなんとか生還することができた。

── 無事でよかったです。そしてさすがの抜群の勝負強さですね。

ローズ あれほどの恐怖はなかったよ。恥ずかしい話、知らないうちに失禁していたんだ。でも、このひどい経験がこれからの何かに生きてくるんですよ。なぜなら、野球も人生も失敗から得られることはすごく多い。あそこまでのギリギリの危機に陥った状況から、自分がどういうふうにリカバリーしていくか。あきらめたら死んでしまう。終わっちゃう。その場面で何ができたのかという過程を得られたことは、決して無駄じゃない。

── そういえば、今年のベイスターズも交流戦優勝で25年ぶりのリーグ制覇も現実味を帯びてきましたが、そこから優勝争いから脱落という直滑降の恐怖を味わいました。この経験は必ず生きてくるということですかね。

ローズ そうだね。彼らにはとてもすばらしい才能がある。そして、監督にミウラサン(三浦大輔)さん、コーチにサイトウタカシサン(斎藤隆)、イシイサン(石井琢朗)、タカノリサン(鈴木尚典)ら勝つことを知っているメンバーがいる。間違いなく彼らは強いチームになるよ。

── では、野球の話は後編でじっくりとお聞きします。

後編:「進藤達哉と石井琢朗の守備に心の底からヤバイと思った」につづく>>


ロバート・ローズ/1967年3月15日、アメリカカリフォルニア州生まれ。93年に来日して、8年間ベイスターズでプレー。98年は「マシンガン打線」の中軸として、チームの日本一の立役者となった。99年には打率.369、153打点で二冠王を獲得。2000年のシーズンを最後に退団。02年にロッテに入団するもシーズン前に退団した。その後は、マイナーリーグのコーチなどを務めた

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