阿部慎之助が振り返る「悪魔のささやき」と闘った苦悩の日々。「イップスからは逃れられなかった」
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連載第32回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・阿部慎之助(2)
「今日はあの人の投げ方で投げてみようかな」
投手への返球をきっかけにイップスを発症した阿部慎之助は、日々試行錯誤を重ねていた。
いろいろと試すなかで、サイドスローのように横から右腕を振るスローイングフォームがしっくりくるようになったという。
「晩年の伊東勤さん(元西武)みたいな感じで、横からパーンって放れたんですね。これはちょっとつかんだなと」
だが、喜びもつかの間だった。しばらくすれば、また感覚がわからなくなる。その繰り返しだった。
巨人の正捕手として一時代を築いた阿部慎之助(写真左)この記事に関連する写真を見る
練習量で治すしかない...
五里霧中の阿部がすがったのは、「モノマネ」だった。
「自分のなかでバリエーションをつくって、『今日はこの人の投げ方でやってみよう』『あ、ダメだ。じゃあこの人にチェンジしてみよう』と試していました。そうやって、少しずつつかんでいくものがあったんですよね」
その日の体調によって、ボールへの指のかかりもまったく変わってしまう。そんな時、阿部は「わざとスライダーを投げるようにした」という。
「遊び感覚でスライダーを投げると、ボールを指で切れるんです。だからその日の感覚によって、カーブを投げたり、ツーシームを投げたりして遊んでいました。ツーシームはボールの縫い目に沿って指をかけるから、感覚が残りやすいじゃないですか」
父の東司さんから助言を受けたこともあった。東司さんは習志野高では掛布雅之(元阪神)と中軸を組み、4番打者として活躍。慎之助と同じく中央大で捕手としてプレーしている。
「指先ばかりを意識するんだったら、別のところを意識して放ってみろ」
そんな東司さんからのアドバイスを受け、阿部は左手にはめたキャッチャーミットだけを意識して投げてみた。イップスになると、投げ腕の指先感覚ばかりが気になってしまうもの。すると、かえって動作がぎこちなくなってしまうのだ。
「投げる時、『ミットをはめた左手をグーにしてみよう』とか、指先から意識を遠ざけることをいろいろやってみました」
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