この先、ヤクルト宮本慎也監督の誕生はあるか。八重樫幸雄が「指導者として覚えたほうがいい」と考えること (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【宮本慎也は広岡達朗タイプの筋の通った男】

――さて、あらためて「広岡さんタイプ」という理由を教えてください。

八重樫 僕が現役時代に仕えた広岡さんは、とにかく厳しい人でした。グラウンド上はもちろん、私生活まで徹底的に指導されて、いわゆる「管理野球」を徹底した。当時もいろいろ批判はあったし、チーム内にも「ちょっとやりすぎだ」という声もあったけど、僕は何も不満はなかったんです。チームに規律ができて、強くなったのは確かですから。

――1978(昭和53)年、チーム創設29年目にして初優勝、初めての日本一に輝いたのは紛れもなく広岡監督時代でした。

八重樫 僕の考えでは、最高責任者である「監督」は、それくらい厳しくていいと思うんです。威厳があって、ちょっと近寄りがたい存在で。その分をコーチたちがサポートしてあげれば組織は強くなる。「メジャーは自由だ」「アメリカはのびのびしている」とよく言われるけど、監督の言葉に対しては絶対的に「イエッサー」ですよね。それでいいと思うんですよ。

――八重樫さんの現役時代、ユマキャンプではパドレスと合同練習を行なったりしていましたね。

八重樫 その時にビックリしましたよ。選手たちはコーチに対してはフレンドリーに接しているのに、監督に対しては直立不動。「あぁ、マネージャー(監督)の権威は絶対なんだな」って感じたことをよく覚えています。「日本とアメリカは違う」とか「もう時代が変わった」という声もあると思うけど、野球というもの、チームという組織のあり方は、昔も今もそうは変わらないと思うんだけどね。広岡さんもまさにそんなタイプの監督だったけど、僕は何も抵抗はなく、「そういうものなんだ」と思っていました。

――では、「宮本イズム」を大切にしたまま、この令和の時代に名監督となるにはどうすればいいですか?

八重樫 さっきも言ったように、「厳しい監督」の息抜きになるような「身近な存在で親身になれるコーチ」をどれだけ配することができるか。同時に、慎也自身も多少の余裕というのか、オンとオフのメリハリというのかな。今までよりも少しは「目をつぶる」ことを覚えたらいいんじゃないのかなと思いますね。

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