勝利数「歴代2位」の投手は、320勝のライバルと競って勝ち続けた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 それだけマウンドに上がって、投げ続けられた強靱な体力とスタミナを象徴するものとして、米田さんには[ガソリンタンク]というニックネームがつけられている。昭和の名選手はよく粋な異名を授かっていたけれど、これほど迫力があって的を射たネーミングはないと思う。

 現役引退後の米田さんは阪神、近鉄、オリックスで投手コーチを務めた一方、評論家としても活躍。2000年には野球殿堂入りを果たしている。僕はその頃から米田さんの存在に興味を抱いていたが、今回の高校生への指導でようやくきっかけをつかむことができた。

 兵庫・芦屋市内のホテル。約束の午後2時よりも15分早く、米田さんがロビーに現れた。黒のシャツにゆったりとしたモスグリーンのジャケット、焦げ茶色のパンツを合わせたシックな装いは、僕には意外だった。

 たぶん[ガソリンタンク]に気を取られ過ぎ、勝手にラフな出で立ちを想像していたからだろう。集めた資料の写真では見られなかった口髭とあいまって、どこか高貴な雰囲気が漂っている。180センチの長身は横幅が広く、背筋はスッと伸びていて、67歳という年齢を感じさせない。歩み寄って挨拶をすると米田さんに笑顔はなく無言で、視線は鋭かった。

 あいにくロビーラウンジは満席で、案内された隣のビルのカフェに入店。その間、米田さんは黙ったままだった。着席して改めて挨拶した後、取材主旨を説明しても相槌を打つだけだったが、テーブルに資料を置くと「それ見るんやったら眼鏡がいるな」と言って老眼鏡を取り出し、照れ笑いを浮かべた。僕は初めての笑顔に安堵し、指導した球児の印象について聞いてみた。

「いや、うまいよ。僕らの時よりも滅茶苦茶うまいですよ。ただ体力面やね、問題は。特に、走るっちゅうことがおろそかになってる。今の子は小さい時から野球やったら野球だけやってるから。僕らの時は中学で卓球やったり、陸上やったり、部活っちゅうのはひとつじゃなかった。大会があれば、別の競技でもうまい人が駆り出されたりね。

 僕自身、野球は小学5年生ぐらいからですかね。好きな先生がおられて、遊びながらやってました。初めはキャッチャーで。座ったままセカンドにピューッと放ってました」

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