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球史に残る大死闘。引退を決意していた
梨田昌孝が執念の一打を放つ

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Kyodo News

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日本プロ野球名シーン
「忘れられないあの一打」
第5回 近鉄・梨田昌孝
伝説の「10・19」第1試合の決勝タイムリー(1988年)

「10・19(ジッテンイチキュウ)」──ことに40代以上の野球ファンにとっては、血湧き肉躍る響きを持っているのではないか。

 1988年、パ・リーグのペナントレースは、前年最下位だった仰木彬新監督の近鉄が終盤、西武を猛烈に追い上げた。9月16日から10月5日までの12試合を11勝1敗。最大8ゲーム差まで開いていた西武に対し、一時は勝率で上回った。

 しかし、過去5年間で4度優勝の王者・西武も意地を見せる。ラスト10試合を8勝2敗と勝ち越し、通算73勝51敗6分で全日程を終えた(当時は130試合制)。その時点で近鉄は4試合を残し72勝51敗3分。優勝マジック3となっていた。

梨田昌孝のタイムリーで鈴木貴久(背番号44)が生還し、中西太コーチらと抱き合う梨田昌孝のタイムリーで鈴木貴久(背番号44)が生還し、中西太コーチらと抱き合う 10月17日の阪急戦(西宮球場)で、エース・阿波野秀幸が石嶺和彦に2ランを浴びて痛恨の黒星を喫し、優勝するには残り3試合をすべて勝つしかなく、引き分けすら許されない状況となった。

 翌18日、川崎球場での128試合目はロッテに12対2で大勝。残るは10月19日のロッテとのダブルヘッダーだけとなった。これに連勝すれば近鉄の優勝が決まる。逆に、負けか引き分けでも、その時点で西武の優勝になる。ファンにはたまらない、劇画のような舞台設定である。

 2試合でトータル7時間33分の死闘が繰り広げられ、とりわけ1試合目で重要な役割を演じたのが梨田昌孝だ。以前、その梨田に「10・19」のエピソードをたっぷり聞いたことがあった。

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