プロ野球におけるプレーオフの歴史。
パ・リーグには幻の制度があった
ペナントレースも残すところあとわずかとなり、いよいよ日本のプロ野球もポストシーズンに突入する。2004年にパ・リーグがプレーオフ制度を実施し、2007年からセ・リーグも追随。以来、クライマックス・シリーズ(CS)として定着するようになった。
当初は「長いレギュラーシーズンの重みはどうなるんだ」という批判もありながら、シーズン終盤の消化試合を減らし、観客動員にも大きく貢献したことで、ファンからも好意的に受け入れられてきた。
2010年にシーズン3位ながらCSを勝ち上がり、日本一を達成したロッテ しかし近年、とくにセ・リーグで広島が独走態勢で優勝する一方で、勝率5割を切るチームがCSに出場するなど、その制度のあり方について批判的な意見が多く聞かれるようになってきた。
賛否両論あるが、ここで日本プロ野球におけるプレーオフの歴史を振り返ってみたい。
パ・リーグは1973年から10年間、人気低下に苦しんでいた時期に苦肉の策として「前・後期制度」を採用した。シーズンを前期と後期の2回にわけ、それぞれ優勝を決めるというもの。そして前期と後期の優勝チームが違う場合は、5試合制の優勝決定戦(先に3勝したチームが勝利)が開催された。
この制度となった最初のシーズン、プレーオフに出場したのは前期優勝の南海(現・ソフトバンク)と後期優勝の阪急(現・オリックス)だった。
前期を制した南海は、手を抜いたわけではないだろうが、後期はシーズン3位に沈み、しかも阪急には12敗1分と1勝もできなかった。しかし、これは当時プレーイングマネージャーだった野村克也に言わせると、阪急相手への「死んだふり」だそうで、後期優勝で勢いのある阪急圧倒的優位の下馬評を覆し、プレーオフを3勝2敗で勝ち抜き優勝を飾った。
この年の年間勝率は、後期をぶっちぎりで制した阪急がリーグ唯一の勝率6割超えで1位、2位は前後期とも2位のロッテで、南海は3位だった。ちなみに、前・後期制を採用していた10年間で、年間勝率2位以下のチームがリーグ優勝を遂げたのは、じつはこの年の南海のみで、あとは順当に年間勝率1位のチームが優勝を果たしている。
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