不世出のアンダースロー左腕・永射保が語っていた「左殺し」の誇り (6ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Jiji photo

 1982年、パ・リーグがまだ前・後期制だった時代。前期の優勝を争っていた西武と阪急が西宮球場で大一番を迎えた。そんな大事な試合で、西武の広岡監督が先発マウンドに送ったのが永射氏だった。狙いは、福本豊、加藤秀司、ウェイン・ケージの1、3、5番の左打者を抑えるためで、「チーム内でも、僕を含めて4人しか知らなかった」という奇策だった。

 結果は7回途中4失点(6回までは1失点)に抑え、試合も11対4で西武が快勝。これで前期の優勝を決めると、プレーオフ、日本シリーズも制覇。球団創設4年目で初の日本一に輝いた。

「僕らみたいな投手はチームが勝ってこそ。そこでどんどん価値が上がるんですよ」

 永射氏にとっても忘れることのできないあの1日。永い眠りにつく直前、35年前の"快投"を思い出したのだろうか。

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