「戦力外通告の男」がメジャー目前に。
中後悠平が語る波乱万丈の1年

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sportiva

 黒のワンボックスカーに乗って夕暮れ時の駅前に現れた姿が、街の風景に馴染んでいた。助手席に乗ると、取材を重ねていた大学時代と変わらぬ人懐っこさで中後悠平(なかうしろ・ゆうへい)は近況を語り始めた。

今季、ルーキーリーグからスタートし、3Aにまで昇格した中後悠平今季、ルーキーリーグからスタートし、3Aにまで昇格した中後悠平「『バースデー』(TBS系列)という番組で特集してもらったんです。そしたらこっちに戻ってきてコンビニで店員さんから『見ました!』って言われたり、あちこちで反響があって。やっぱり、テレビはすごいなあって思いますね。あと、J SPORTS(スポーツ専門テレビ局)でポストシーズンのレッドソックスとインディアンスの解説にも呼ばれたんです。薮田(安彦)さんのつながりで。試合の解説というより、向こうでの体験を話させてもらったんですけど、アメリカの野球なんて全然興味がなかった僕が......です。不思議ですよね」

 帰国後は神奈川にある夫人の実家に身を置き、日中は主にロッテの施設を借りてトレーニングを行なっている。合間には取材の話も舞い込んでくるという。

「ロッテにいたときより多いですよ」

 ドラマティックな中後の人生を振り返る話は、やはり"あのとき"から始まる。

「野球人生で初めてマウンドを降りたいと思いました」

 1年前、静岡県営草薙球場で行なわれたプロ野球トライアウトのマウンド。カウント1-1の設定ではあったが、打者3人に対し、四球、死球、死球と散々な結果に終わってしまった。

「先頭打者にフォアボールを出した時点で『もうアカン』となって......。もうあとはボロボロでした」

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