近くなったメジャーリーガーへの道。FAで海を渡った男たち (2ページ目)

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro photo by Getty Images

design by Unno Satorudesign by Unno Satoru 翌2001年オフには、32歳の田口壮(オリックス)がメジャー挑戦を決断する。所属していたオリックスからは2年3億円、阪神からは3年8億円の提示を受けたが、2002年1月9日にセントルイス・カージナルスと3年300万ドル(約3億9000万円)でサイン。また、田口の挑戦も、吉井同様に意義深いものになった。2006年にセントルイス・カージナルス、2008年にフィラデルフィア・フィリーズで2度のMLBチャンピオンリングを獲得。田口のスーパーサブとして活躍する姿によって、多くのファンが「レギュラーで活躍するのがメジャー移籍の成功」という見方を改めることになった。

 そして、日本人野手のメジャー挑戦への道が固まった2002年オフ、真打ちがFAを宣言する。松井秀喜は前年オフ、巨人からの5年提示を蹴り、1年6億1000万円でサイン。そして2002年4月にFA権を取得すると、日本シリーズ終了後に行使したのだった。松井は3年総額2100万ドル(約25億4100万円)という破格の条件でニューヨーク・ヤンキースと契約し、年が明けた2003年1月14日、ニューヨークで入団会見に臨んだ。ハワイでの休暇を中断して同席したジョー・トーレ監督が、「マツイなら、たとえ最初はうまくいかなかったとしても、しっかりやってくれるだろう」とコメントすると、松井はその期待に応えるかのようにピンストライプのユニフォームで躍動し、日米のファンを魅了した。

 日本球界を代表するスター選手たちがこぞって活躍の場をメジャーリーグに求めたことで、国内のFA戦線も大きく様変わりした。FA宣言して国内移籍を目指す選手の年俸は、「海外組」に比べると高くないこともあって、巨人以外の球団も獲得に手を上げることが増えたのだ。2001年オフには、大阪近鉄が加藤伸一(オリックス)を獲得。2004年限りで球団が消滅したため、これが大阪近鉄にとって最初で最後のFA獲得選手となった。

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