【プロ野球】鉄人語録で振り返る、金本知憲「不屈の21年」 (3ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 また、メモリアルとなる2000本安打は、2008年4月12日の横浜戦で達成した。史上37人目、40歳0カ月での到達は史上3位の晩成記録だ。1999本からの最後の一本は難しいと言われているが、金本も例外ではなく18打席も足踏みが続いた。

「ちょっとじらせすぎましたかね。でも、意外とみんなが言うほど苦しんだわけではない」

 飄然(ひょうぜん)と語った金本だが、「よかったとか、嬉しいというよりもホッとした」と本音もチラリとのぞかせた。安堵したのは甲子園という特別な場所で戦っているからだろう。

「甲子園の5万人のため息を聞いたら、簡単には凡打できない」

 そして2000本安打達成からわずか1カ月後の5月7日、巨人戦で金本は木佐貫洋から後頭部に死球を受け、頭を押さえてうずくまった。連続フルイニング記録が途切れるかと思われたが、金本は応急処置を受けると何事もなかったように再びグラウンドに姿を現した。試合後、「あれは威嚇した球でもないし、故意でもない。あれは何でもない。大丈夫だから」と、自分のことよりも死球を投げてしまった木佐貫を気遣った。

 40歳を超えてもなおチームの主力として存在感を示していた金本だが、徐々に体は限界に近づきつつあった。さらに2010年3月、オープン戦の試合前練習でチームメイトと激突すると右肩を負傷。右肩棘上金部断裂の重傷だった。それでも試合に出続けた金本だったが、満足に守備ができるような状態ではなかった。金本は悩んだ末、4月18日の試合前、真弓明信監督に自らこう告げた。

「これ以上出てもチームに迷惑をかけてしまう。勝つための手段として決めました」

 この瞬間、連続フルイニング出場記録は1492試合でストップした。結局、ケガは好転することなく、この年の成績は阪神移籍後ワーストとなり、「色で表わすなら真っ黒でどす黒い濁った水のようだった」と、苦悩の1年を振り返った。

 さらに翌2011年4月15日、今度は連続試合出場がストップしてしまう。中日との試合で金本は8回二死一塁の場面で代打として登場するが、一塁走者の藤川俊介が二盗に失敗してチェンジ。金本は打席が完了しないまま9回の守備にもつかなかったために連続試合出場は1766で途絶えた。

「(記録が止まっても)全然。笑えたぐらい。本当にこれでよかったですね」

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