大谷翔平が覆した「日本人への固定概念」 日系4世のドジャース実況アナの目にどう映っているのか (2ページ目)
【1989年生まれのネルソンと1995年生まれの大谷】
ドジャースの実況アナウンサー、ネルソンの母親であるフローレンスが、長年勤務していた全米日系人博物館では、収容所に関する情報だけでなく、19世紀末から20世紀初頭にかけて日系移民がアメリカ社会で差別的な扱いを受けてきた歴史も詳細に伝えている。特にカリフォルニア州では偏見が強く、移民への襲撃事件が多発したため、1907年に日米紳士協約が結ばれ、日本人の渡航が制限された。1924年の「移民法」では、日本人移民の受け入れがほぼ完全に禁止され、土地所有や経済的権利も大きく制限された。戦後、収容所からは解放されたものの、依然として差別や偏見に直面し、就職や教育で不利な立場に置かれることがあった。
日系人博物館は1992年に開館し、筆者も開館から間もない頃に訪れた。ネルソンもおそらく何度も訪れているだろう。子供の頃、アイスホッケーが得意だったネルソンにとって、ヒーローのひとりは1993年にNHLのアナハイム・マイティダックスに1巡指名で入団し、2003年にスタンレーカップ決勝へと導いたポール・カリヤである。
カリヤは日系3世で、祖父母は第二次世界大戦中に収容所に送られ、父親はその収容所内で生まれた。
1989年生まれのネルソンと1995年生まれの大谷は、21世紀のアメリカ社会で輝きを放っている。かつてネルソンがカリヤをそう見ていたように、彼らの活躍を憧れの眼差しで見る子どもたちが大人になる20年後には、従来のステレオタイプはさらに薄れ、アメリカ社会がその多様性を強みとして、さらに発展していることが期待される。
2024年、大谷がドジャースに入団し、ネルソンは同じ球団で働く仲間となった。大谷について印象を尋ねると、こう答えた。
「翔平の際立った点は、もちろんアスリートとしての才能ですが、何よりもその謙虚さが別格です。これほどの優れたアスリートが、ここまで謙虚でいられるのは、彼の人間性や育てられ方、両親の影響を物語っている。だから私はいつも周りの人に、今まで見たなかで最も才能ある野球選手だが、性格や人柄もそれに匹敵すると話しています」
第3回(全3回)につづく
著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。
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