東海大相模・原俊介監督が語る指導論 「プロの技術を高校生に伝えるのは難しい」
東海大相模・原俊介監督インタビュー(後編)
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原俊介監督率いる東海大相模は2024年夏、神奈川を制し甲子園出場を果たした。「巨人ドラフト1位」という輝かしい球歴を誇る原監督だが、指導者として甲子園の地に足を踏み入れたのは今回が初めてだった。そんな原監督に高校生を教える難しさ、やりがいについて語ってもらった。
2021年秋から母校の東海大相模で指揮を執る原俊介監督 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る
【原監督が達成した史上初の快挙とは?】
── 甲子園初戦(2回戦)は富山商に4対0で勝利。198センチ左腕・藤田琉生投手(日ハム2位指名)が7回13奪三振。8番・柴田元気選手の8回中押しソロ本塁打は、開幕19試合目の大会第1号でした。
原 ウチも相手も、みんな初戦の緊張で固まっていました。いくら東海大相模が甲子園で優勝経験のある伝統校と言っても、今夏のメンバーはみんな甲子園初体験ですからね。グラウンドに入るまでの過ごし方、入ってからのリズムなど新鮮でした。
── 原先生は選手としても甲子園に出場されていますが、見えた景色は違いましたか。
原 私が甲子園に出た高校3年春のセンバツは、"阪神・淡路大震災"が起きた年(1995年)で、街はあちこちにブルーシートがかかっていました。試合は1回戦で県岐阜商に勝ち、2回戦でその大会で優勝する香川の観音寺中央高に敗れました。球場自体は同じ甲子園ですから、景色は同じでした(笑)。ただこの夏、生徒たちと一緒に戦って、校歌を聞いた時は感無量でした。
── この夏の1勝は、ドラフト1位の教員として、初の甲子園勝利でした。かつてプロにドラフト1位で指名され、早鞆高の監督を務めた大越基さんは甲子園に出場しましたが勝っておらず、全国制覇した智辯和歌山の中谷仁さんは教員免許を取得していません。
原 それは初耳でした。なんでも"初"というのはうれしいですね。ただ何度も言いますが、これは自分だけの力でできることではありません。これまで多くの人との関わりがあって、今につながっている。そこは感謝しかありません。
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著者プロフィール
飯尾哲司 (いいお・てつじ)
静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)