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「投手王国」兵庫にまた逸材出現 古豪・滝川の新井瑛太は投手転向1年で最速151キロを計測 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

【転機となったドラフト1位投手との対戦】

 滝川は高校野球界で「古豪」として知られている。甲子園出場回数は春夏合わせて19回。プロ野球界には別所毅彦(元・巨人ほか)、青田昇(元・巨人ほか)、中尾孝義(元・中日ほか)、村田真一(元・巨人)など、多くの名選手を送り込んでいる。

 野球部の歴史は過去に一度、途絶えている。兄弟校の滝川二が創設されると、1985年に滝川野球部は廃部に。翌年に再開されたものの、甲子園出場は1980年を最後に遠ざかっている。現任の近藤監督も滝川OBで、独立リーグ・香川オリーブガイナーズではNPBスカウトから注目される存在だった。

 近藤監督は滝川に入学した新井のボールを見て、すぐに投手転向を勧めている。

「外野からスピンのきいた球がきていたので、この子がピッチャーをやったらすごいやろうなと思いました」

 1年夏まで外野手メインでプレーし、秋の新チームに切り替わったタイミングで投手に本格転向している。つまり、投手になってから1年あまりしか経っていないのだ。

 ただし、軌道に乗るまでには時間がかかった。新井は苦笑交じりに振り返る。

「最初はフォアボールばかりで、ボールを置きにいっては打たれることばかりでした。フォームも力任せで、よく『野手投げ』って言われていました」

 転機になったのは2年春の県地区大会だった。強豪・神戸弘陵戦で先発した新井は9回まで2失点と好投する(試合は延長11回、3対4で敗戦)。体をタテに使えるようになり、スライダーなど変化球でもストライクが取れた。

 投手として手応えを得たと同時に、強いショックも受けた。対戦相手のエース右腕・村上泰斗が別次元のボールを投げていたからだ。

「村上さんが途中から出てきて、完璧に抑えられたんです。真っすぐの質、変化球の質が自分とは全然違いました」

 ドラフト1位でプロに進むことになる村上の姿は、新井にまぶしく映った。その一方で、村上も1学年下の新井に強いインパクトを受けたようだ。後日、村上に聞くとこんな反応が返ってきた。

「新井くんは2年生の時点であれだけ投げられていればすごいと思います。まだ粗いと言っても、自分の高校2年時と比べたら上ですよ。これからが楽しみですね」

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