プロに届かなかった大阪桐蔭の天才打者が振り返る栄光と挫折の野球人生 自分を拾ってくれた指揮官からの「クビ宣告」

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

元大阪桐蔭・峯本匠インタビュー(後編)

 2014年夏。大阪桐蔭で全国制覇に貢献した峯本匠は、4年後のプロ入りを見据え、東京六大学リーグに所属する立教大の門を叩いた。

 3度の甲子園で通算18安打3本塁打(ランニング本塁打2本)をマーク。U−18日本代表にも選出された実力を買われ、1年春から4試合に出場した。誰もが順風満帆の大学生活がスタートしたことを信じて疑わなかった。本人を除いては......。

大阪桐蔭から立教大、JFE東日本に進んだ峯本匠氏だったが、2022年に現役を引退した photo by Sankei Visual大阪桐蔭から立教大、JFE東日本に進んだ峯本匠氏だったが、2022年に現役を引退した photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【紆余曲折の4年間】

「大学野球自体、実際あまりやる気がなかったです。やらないとまずいとは思うんですけど、『別に僕じゃなくても、ほかがいるからいいや』みたいになっていました。寮生活も大阪桐蔭と違って自由だし、電車に30分ほど乗れば池袋に行けて、遊ぶところもいっぱいあります。野球なんて二の次、いや、三の次みたいな感じになっていました。遊び、勉強、野球。順位的にはそんな感じですね」

 チームの方針ともかみ合わず、練習にも次第に身が入らなくなっていった。木製バットへの対応にも苦しみ、面白いように安打を量産した高校時代とは対照的に、2年終了時まで通算8打数無安打。広角に打ち分ける切れ味鋭いスイングは影を潜め、スタンドから声援を送る日々が続いた。

「1年の春に『木のバットは何か合わへんな』みたいになって、いつかは慣れるだろうと思ってやっていましたが、そのままズルズルいってしまいました」

 大学で野球は辞めよう......。気持ちが折れかけていた時、一本のバットに出会う。一般的なストレート型のグリップエンドではなく、なだらかな曲線を描いて太くなるフレア型が「手にしっくりきた」という。

「ちょっといびつな型で、誰が握っても嫌な顔をされるんですけど、そこからずっと型は変えていません」

 上級生になると、成績も少しずつ上向いてきた。3年春にようやく初安打を放ち、18年ぶりリーグ優勝と59年ぶり日本一に貢献すると、同年秋には26打数7安打、打率.269をマーク。そのタイミングで、社会人野球の強豪であるJFE東日本の落合成紀監督から声をかけられた。

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著者プロフィール

  • 内田勝治

    内田勝治 (うちだ・かつはる)

    1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

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