北筑高校に脈々と受け継がれる今永昇太の教え 「甲子園に出ることが最高の恩返し」
今永昇太の原風景〜無名だった北筑高校時代(後編)
前編:今永昇太は無名の進学校からいかにしてメジャーリーガーへと上り詰めたのかはこちら>>
今永昇太は高校3年間を、福岡の北筑高校で過ごした。駒澤大学から横浜DeNAベイスターズ、そしてシカゴ・カブスへと活躍の場を移し、もはやカブスでもエースと言っても過言ではない好投を続ける。そんな左腕のルーツは、日本全国どこにでもあるような県立高の原風景にある。
北筑高校の指揮を執る安部秀隆監督 photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る
【今永昇太が実践したトレーニング法】
現在、北筑野球部を率いる安部秀隆監督が、練習環境を説明する。
「平日は月、金曜日が6時間授業なので16時すぎから、火、水、木曜日の3日間は7時間授業なので、17時すぎから練習が始まります。19時30分が完全下校なので、19時すぎをメドに練習を終わらせて、片づけ、グラウンド整備、着替えをやって、校内から(生徒を)"追い出す"という感じです」
全体でウォーミングを行なう時間を省くため、選手たちは各々で体を動かしながら、手分けして準備を進める。クラスによって集まる時間もばらつきがあるので、昼休みの時点で主将が監督のもとを訪れ、練習メニューを把握。それをほかの選手と共有したうえで、効率よく練習に入っていく。
取材に訪れた日は金曜日。3時間ほど練習ができるとあって、ケース打撃で実戦勘を養っていた。
「練習のための練習が無駄な時間だと思っていて、試合のための練習にならないといけません。走者のケースも打者に決めさせています。公式戦や練習試合のなかで、このケースが打ちにくかったとか、凡退してしまったからいいイメージを取り返すためにということでやらせています」
安部監督は北筑のOBではない。同じ八幡西区内にある東筑高の出身だ。2011年、安部監督が高校1年時、北九州市長杯で対戦した北筑の3年生左腕に目を奪われた。その投手こそ今永だった。
「今永さんは当時、たぶん140キロを超えていたと思います。むちゃくちゃ速かったですね。その試合は東筑が1対0で勝ったんですけど、かなりの投手戦で、先輩もなかなか点は入らないだろうということは言っていました」
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう