2020.05.10

日大三・小倉監督の原点は「打倒・帝京」。
不遇を糧に歩んだ名将ロード

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 当時の関東一は、1979年夏の東東京大会で過去最高のベスト4進出を果たすなど伸び盛り。当時にしては珍しい雨天練習場と合宿所を備え、小倉は奮い立った。

 1981年4月に関東一の監督に就任すると、早稲田実業や帝京といった強豪から声がかかっていないレベルの選手たちを鍛え抜き、また一緒に合宿所に住み込んで掃除の方法や食事の作法も教え込んだ。

 初めて東東京大会の決勝に進んだ1983年夏は、前田監督率いる帝京に2対3と惜敗。

「前田さんの存在が......。就任した81年の秋は勝ったのですが、82年の秋は準決勝で負け。そして83年夏、84年の秋は『ここで勝てば甲子園』というところで、ことごとく帝京にやられました」

 そして1985年、春の都大会はセンバツで準優勝した帝京に決勝で敗れたが、夏の東東京大会決勝で再び対戦。帝京のエース・小林昭則(元ロッテ/現・帝京五監督)のビデオを擦り切れるほど見て12対5と圧勝し、ついに甲子園出場を果たす。

 甲子園では「ノックで空振りするんじゃないかと思ったほど緊張していた」という小倉だったが、選手たちは初出場とは思えない堂々としたプレーでベスト8入りを果たす。

 1986、87年はセンバツに出場。87年は三輪隆(元オリックス)を中心に準優勝を果たし、「関東一? どこの県や」と言われていた校名は一躍、全国区となった。