なぜ大阪桐蔭は強いのか。指揮官が語った「春の山と夏の山」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 ちなみに2年前のチームは、夏の大阪大会準々決勝で大阪偕星学園に1点差で敗れ、甲子園出場を逃した。スタート時点の認識のズレが影響したのかどうかはわからない。ただ、今回もまず春の山を下りるという意識づけを選手に徹底させた。センバツ優勝翌日には、宿舎から寮に戻り、早速トレーニングで汗を流した。1日休養という選択肢もあったが、体を動かした。

「『今日は休んでもいいけど、どうする? オレは夏の山に登りに行くけど』と言うと、選手たちは『やります』と。『ノー』とは言えなかったんでしょうけど(笑)。そこで『ウエイトを2時間だけやろう』と軽く汗を流しただけでしたけど、今から夏の山を登るという切り替えの練習でした」

 センバツ優勝から夏を目指す流れは、西谷監督にとっては2度目となる。前回は、藤浪晋太郎(阪神)と森友哉(西武)のバッテリーを擁した2012年。このときは、センバツに続き夏の甲子園でも全国の頂点に立った。西谷監督が当時を振り返る。

「あのチームがすごかったのは、センバツが終わって夏の大会に向かうまで、1分1秒たりとも油断や慢心を感じさせなかったことです。藤浪も、野手に助けてもらったという思いが強く、野手陣もこのままではやられてしまうという意識がありました。センバツを終えた夜に、今の思いを野球ノートに書かせると、全員が『このままじゃ夏は勝てない』と書いてきた。それを見て、僕はこのチームはまだまだ伸びると思いました」

 今回のセンバツも、耐えて、粘って、なんとか勝ち抜いた印象が強い。

「たしかに、ほかを圧倒しての優勝ではなかったですからね。粘って、粘って......気づいたら最後に生き残っていたという感覚です。だから選手たちは、まだまだと思っているはずです」

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