【自転車】片山右京が開幕戦を分析「理想的な勝ち方」
遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第50回】
3月15日に行なわれたJプロツアー開幕戦・宇都宮クリテリウムを制したTeamUKYO。ライバル勢とのデッドヒートの中で、チームを率いる片山右京は開幕戦の勝利をどう見たのか――。今後の戦い方について、リーダーのビジョンを聞いた。
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新体制発表会でファンに向けて壮大な夢を語る片山右京 Jプロツアー開幕戦(宇都宮クリテリウム)を勝利したことにより、TeamUKYOは課題のひとつをクリアしたといえそうだ。このレースを振り返り、チーム監督の片山右京は「狙いどおりの展開で勝つことができてよかった」と話す。
「個人とチームの双方で年間総合優勝を達成する――という目的を考えたとき、クリテリウムはうちの弱点だったんです。たしかに、去年のいわきクリテリウムでも窪木(一茂)が勝ってくれたけれど、あのときはチームの総合力で勝ったというより、窪木個人の力で掴み取った勝利でした。突出した個人の力で勝利を重ねていくような勝ち方だと、チームそのものの力を増強することにはつながらない。
でも、今回の宇都宮クリテリウムでは、エントリーした選手全員がきっちりと仕事をしてくれた。たとえば、ある選手が序盤に逃げて、ついてくる後ろのライバルたちに脚を使わせる。しばらくして集団に吸収されると、今度は即座に別の選手がカウンターアタックで逃げを仕掛ける。一方で、他の選手たちは集団をコントロールしながらライバルの逃げを成功させないようにし、ペースをマネージメントする。終盤にはトレインを組んで2段・3段・4段構えで後ろの選手を発射できる体制をつくり、最後はぎりぎりまでパブロ(・ウルタスン)が引っぱって、そこから飛び出した窪木が最後の数百メートルをスプリントする......。各人の果たすべき仕事を全員がしっかりと理解し、レースの駆け引きの中でそれを実現できていたからこそ、あの結果につながりました」
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著者プロフィール
片山右京 (かたやま・うきょう)
1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。