出雲、全日本と4位の創価大学 3強崩しへ榎木和貴監督「うちに足りないのは勝つんだという意識」

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

全日本大学駅伝2区を駆ける創価大学4年の吉田響 Photo by SportsPressJP/AFLO全日本大学駅伝2区を駆ける創価大学4年の吉田響 Photo by SportsPressJP/AFLO 駅伝の歴史に残るようなドッグファイトだった。

 全日本大学駅伝の2区、吉田響(創価大4年)と鶴川正也(青学大4年)がラストで猛烈な競り合いを展開し、迫力ある攻防を見せた。吉田の意地が見えたレースだが、同時に創価大が目標である3位内に入るプランを選手が実行し、一気に期待が膨らんだシーンでもあった。

大会前日の11月2日、榎木和貴監督は、レースプランについて、こう語っていた。

「出雲と同じで後半に選手を温存して戦うというよりも前半の1区、2区から流れを作り、5区の留学生(スティーブン・ムチーニ)でトップに立ち、7区、8区で勝負が出来ればと考えています」

 エースを前から積極的に起用して流れを掴み、その勢いで中盤、後半戦を作っていく。創価大スタイルとも言える戦略だが、それが最初、ハマったように見えた。

 1区の小暮栄輝(4年)が区間3位、トップの日体大と2秒差という好位置でエースの吉田響に襷を渡した。吉田響は当日の区間変更で2区に入り、前半から流れを作って粘りの駅伝を実現するキーマンとしての役割が求められた。

「いい順位で(襷を)もらったので、これを一番で次に渡すってことしか考えていなかったです」

 そう語るように吉田響は、1キロ過ぎで鶴川ら数名で先頭集団を作った。しばらく集団走が続いたが、7キロ付近で鶴川との一騎打ちになった。

 吉田響のうしろに鶴川がつき、体力を温存して勝負に徹していた。コース上は強風が吹いており、細い吉田響にとっては体力が削られる展開になっていたが、前を譲らなかった。

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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