パリオリンピック陸上・田中希実「本当に幸せを噛みしめる大会でした」 決勝に及ばずも3レースで得たものとは?

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

苦しい時間を経てまたひと回り大きく成長した田中希実 photo by JMPA苦しい時間を経てまたひと回り大きく成長した田中希実 photo by JMPA

 田中希実にとって2度目のオリンピックとなったパリ五輪では、決勝の舞台に進むことはできなかった。前回の東京五輪の5000m自己ベスト、1500mでは日本史上初の4分切りを果たし8位入賞という成績から見れば、見劣りする結果かもしれない。しかし、東京五輪からの3年間、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら、世界基準のランナーとして成長を続けてきたこともまた事実。

 1500mでは東京五輪以来の4分切りも含め、パリ五輪の3レースで田中が得たものとは−−。

【心揺れるなか、救済措置で準決勝へ】

 現地時間8月6日の午前に行なわれた女子1500m予選第1組。スタート直後から3分台を狙うペースで飛び出した田中希実(New Balance)は、800m過ぎまで先頭を走った。だが、そこからは後続にのまれ4番手まで落ち、1200m過ぎにはさらに抜かれて6番手まで落ちた。

 それでも「いつもならラスト300mを過ぎた直線に入って抜かれると、『今日もダメかもしれない。ここから伸びていける自信がない』とちょっと引いてしまうが、今日はそこで抜かれても『ここから一緒に上がっていこう』と思えた」と田中が言うように、一時は16秒台まで落ちた100mのラップタイムを15秒台にし、そこからさらに上げていこうとした。

 だが、ラスト200mを切ったあたりで他の選手と接触してバランスを崩してしまう。なんとか踏ん張ったものの明らかにスピードが落ちて11着まで順位を下げ、そのまま4分04秒28でゴール。組6着までが得られる準決勝進出には届かず、この時点では、ほかの完走者が臨む翌日の敗者復活戦に回ることになった。

「自分の決めたレースができたので、どんな結果でも受け入れられるけど、最後は自分の走りを貫くというところがぼやけてしまったので複雑な気持ちです。最後は敗者復活戦があることや、『自分の走りを貫こうと思っても貫けないこともあるな』ということが頭の中をよぎっている間にレースが終わってしまったからです。前との差が開いた時に『明日に賭けた方がいいのでは』という思いがあったかもしれないけど、これでは終わらせたくないというのはすごく思いました」

 記録によるプラスでのラウンド進出がなくなったためか、この大会は転倒者などが救済されるケースが多かった。だが田中は「私自身は転ばなかったし、みんな必死でやっているので抗議する気もない」と話していた。

 結果的に接触が不利を被ったものとして、田中は救済されて準決勝に進める結果になっていたが、話し始めた時点ではそれを知らなかった。そして取材の最中にそれを伝えられて驚くと、こう話した。

「今までは明日の敗者復活戦しか考えていなかったけど、自分のなかですごく頑張っていたから運が向いてきたのではないかと思います。今日の自分にできなかったことは最後まで駆け抜けることと、予選落ちでも日本記録は残すことでした。そのできなかったことを、やれと言われているのではないかと思います。

(テレビの取材で救済を知らなかった)小林祐梨子さんが『明日は自分のためだけに走っておいで』と言ってくれたけど、今日は本当に大切なことをたくさん思い出し、たくさんの人たちと一緒に走っていると思うことで走り出すことができました。準決勝は今日以上に自分のため、という気持ちを持つとともに、たくさんの人と一緒に楽しめるようなレースをしたいと思います」

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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