母・千洋さんが語る田中希実のパリオリンピックに至るまでの揺れる心情 母としては「結果よりも......親バカです」
気持ちを整えてパリ五輪に向かったという田中希実 photo by 松尾/アフロ
母・千洋さんが語る田中希実 後編
陸上女子1500mと5000mのパリオリンピック代表、田中希実(24歳/New Balance)は思うような走りができない時には、厳しい自己評価を下す一方、ネガティブな感情が一度吹っ切れると、とてつもない走りをしてみせる。よいときも、悪いときも、そうした心情の変化を受け止めてきたのが母親の千洋さんだ。
とはいえ、母・千洋さんとてランナーであり、同じ人間。娘のネガティブな思考を受ける時は自身も疲弊することもあるが、そうした親子であり、チームの仲間であるから、成り立つコミュニケーションこそ、アスリート・田中希実の礎となっている。
【田中の気持ちの受け皿として】
田中希実はメンタルが走りに影響する選手の代表格だろう。
昨年の世界陸上選手権ブダペスト大会が代表的なケースだった。田中は8月19日の1500m予選は1組6位で通過、4分04秒36はシーズンベストだった。しかし翌20日の準決勝は1組で最下位の12位、タイムも4分06秒71で決勝進出ラインとは開きがあった。だが23日に中2日で出場した5000m予選は、2組6位で14分37秒98で走り、廣中璃梨佳(23歳/JP日本郵政グループ)が持っていた日本記録を15秒も更新した。そして26日の5000m決勝は8位(14分58秒99)に入賞した。
千洋さんもブダペストに滞在。毎朝、選手村のホテルで少しでも会話をするようにした。
「ブダペストの1500m前は最悪の精神状態でした。東京五輪で出した日本記録(3分59秒19)に近いタイムが出せなくて、ずっとモヤモヤがあったんです。4分1~2秒はいつでも出せる練習ができている、と夫(健智コーチ)も言っていましたが、なかなか近づけなかったですね」
田中は大きな試合になると記録が上がる選手だが、前年の世界陸上選手権オレゴンも、そしてブダペストでも1500mのタイムは自身の期待以下に終わった。
「それが1500mの準決勝が終わって、急に吹っ切れたんです。夫がもう大丈夫だから一緒に食事をしてもいいと言ってくれて、ご飯も一緒に食べました。
夫は、5000m予選は走れると思う、とも話していました。1500mの準決勝までは日に日に表情が沈んでいきましたが、5000m予選の朝は大丈夫だと思いました。表情が和らいでいましたし、イライラしているときの顔とは違いました」
1500m前の田中は「何をやっても虚(むな)しい」という言葉も発していた。田中の後ろ向きな態度に対し、チームの解散を宣言するなど健智コーチも毅然として対処した。すると、1500mの準決勝が終わって田中がチームのありがたさを再認識し、メンバーに対して感謝の気持ちを持つことができた。表情が一変し、走りもいきなり良くなったのである。
しかし思うような走りができないと、メンタルが悪い方向に向かう部分は、今も出てしまう。今年のダイヤモンドリーグ(DL)ドーハがそうだったし、6月末の日本選手権後にも田中は、家族や親しい人との食事会で辛らつな言葉を周囲に発してしまった。
日本選手権は3種目に出場し、最初の1500mに優勝してパリ五輪代表を内定させた。記録も4分01秒44と、東京五輪準決勝、決勝に次いで自己サード記録をマークした。5000mにも優勝して3年連続2冠を達成。予定どおりの結果を収めたが、最後の800mは7位と想定以下の走りをしてしまった。
千洋さんは、その日の夜のことを次のように明かした。
「日本記録を狙うペースになると予想して、自分は付いていくだけでいいと希実は考えていたんです。それがスローになって、自分が前に出るしかなくなりました。それは仕方ないことでしたが、最後の直線で脚が止まってしまった。『あれで止まるようでは(1500mと5000mでも)世界と戦えない』とか、マイナスのことしか言わなかったんです。『走れなかったら希実じゃない』とか、『誰も希実の孤独な気持ちをわかってくれない』とか」
夜中まで田中の後ろ向きな言葉を聞かされた千洋さんは、これまで以上に疲れてしまった。「一睡もすることができず、パリに応援に行くのを見送ることさえ考えました」とその夜の苦しい気持ちを打ち明ける。
しかし翌朝の千洋さんたちの疲弊した様子を見た田中が、伊丹空港に着いた後に千洋さん、健智コーチ、同行したマネジャーに謝罪をした。
「『楽しかった日本選手権が終わってしまい、パリ五輪に向かう不安を感じて(みんなにきつく)当たってしまった』と謝ってくれました。『このチームでこれからもやっていきたい』と。私は朝から突き放して会話をしていませんでしたが、この言葉を聞いてまた許してしまいました。希実の気持ちも良い方向に向かい始めたと思います」
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著者プロフィール
寺田辰朗 (てらだ・たつお)
陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の"深い"情報を紹介することをライフワークとする。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。「寺田的陸上競技WEB」は20年以上の歴史を誇る。