「冬までE判定」から現役で京大合格。競歩で金メダルを狙う山西利和の受験と青春 (4ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • photo by Kyodo News

―― とはいえ、競歩の成績が右肩上がりになって熱中していく反面、勉強がおろそかになりそうな気がしますが、山西選手は、そこをどのようにクリアしましたか?

「高校の授業では毎回、多くの科目でそれなりの分量の課題が出ていました。それを真面目に取り組んでいたことで、最低限の学力はついたのかなと。高校時の勉強は授業が基本でした。

 もちろん、大会が重なった時なんかは、授業を欠席することもありました。その場合は、まわりの友達に授業の内容を聞くなど協力してもらって、(授業で)押さえるべきところは押さえるようにしていました」

―― つまり、授業中は勉強に、部活中は競歩に集中していたと。口で言うのは簡単ですが、これがなかなか難しいんですよね......。

「部活の時間は、1時間半から2時間ぐらいと短かったので、生活のメインはあくまで勉強。その中に部活が入ってくる感じでしたね。だからこそ、短い部活の時間で、いかに練習の質を高めていくかということは、いつも考えていました」

―― その「質」を勉強にも求めたことが、京都大学工学部の現役合格にもつながるわけですね。

「勉強にはある程度の量、時間も必要だと思いますが、遅くても日付を超えるか超えないかぐらいの時間には寝るようにしていました。毎日7時間ぐらいきっちり寝て、その日その日で気持ちを切り替えたのがよかったのかなと思います」

―― ちなみにどのくらいの時点で、京大に現役合格できるかもしれないと思いましたか?

「不思議なことに、3年になって1回目に受けた模試で、京大はC判定(合格可能性50パーセント程度)が出たんです。でも、それから秋、冬まで、ずっとE判定(合格可能性20パーセント程度)でした。夏のインハイや国体に出ると、本格的に勉強できるのは3年の2学期以降になるので、多少の焦りはありました。

 ただ、いきなり背伸びをして過去問に手を出すよりも、基本的なところを押さえる必要があるなと。(基本的な問題で)取りこぼしをしないように、特に物理と化学は11月くらいまで、基礎固めに時間を費やしていた記憶があります。その結果、京大の過去問に取り組むのは初冬頃からになりましたが、基礎を固めたおかげで、年末以降はまたC判定が出るようになりました。センター試験や2次試験の間際になって、ようやく(受験の)準備が間に合った感じでしたね」

(後編につづく)


Profile
山西利和(やまにし・としかず)
1996年2月15日、京都府生まれ。愛知製鋼所属。20km競歩の東京五輪日本代表。高校生の時に競歩をはじめる。京都市立堀川高校を卒業後、現役で京都大工学部に進学。大学卒業後は、愛知製鋼に就職し、正社員として働きながら、競技を続けている。2019年の世界陸上ドーハ大会、20km競歩で優勝し、東京五輪日本代表に内定。同種目で日本人史上初となる金メダル獲得をめざす。

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