【平成の名力士列伝:豊真将】"遠回り" のエリートが貫き続けた相撲への真摯な姿勢と引退を余儀なくされた突然のケガ
いばらの道を歩み、相撲の喜びを知った豊真将 photo by Kyodo News
連載・平成の名力士列伝24:豊真将
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、不屈の闘志でケガと戦い、相撲道を追求し続けた豊真将を紹介する。
【大ケガからの復帰を目指したが......】
相撲にケガはつきものとはいえ、お相撲さんの現役生活はまさに「一寸先は闇」だ。好調力士が一瞬のケガで、引退を余儀なくされることもある。
豊真将の現役最後の一番も、唐突にやってきた。平成26(2014)年7月場所5日目の結びの一番。横綱・日馬富士の叩きを懸命に残そうとしたが、右膝が伸びきった状態で上から潰されるような形で押し倒されると自力では立ち上がれず。苦悶の表情を浮かべながら、若者頭に肩を借りて土俵を後にした。
「足が痺れて燃えるような痛みだった。一瞬、頭が真っ白になっていろんなものが走馬灯のように頭の中で駆け巡った」
のちに本人が当時の状況を生々しく、そう振り返った。これまでも度重なるケガに苦しみながらも、そのたびに這い上がってきた不屈の男は、さほど時間を置かずに「復活に向けてリハビリを頑張ろう」と気持ちは切り替わっていた。しかし、3日経っても右足首が全く動かず、雪駄も履けない状況に「痛めたのはひざなのにおかしいな」と、さすがにただならぬ事態であることを自覚することになる。
右膝から下が痺れっぱなしで、感覚が全くない。不安は募るばかりで、症状からネット検索してみると「腓骨神経麻痺」という病名に行き着いた。果たして、医師からも同じ病名を告げられると、打ちひしがれるほどの絶望感に襲われた。
右膝の前十字靭帯断裂、内側および外側の側副靭帯損傷、ハムストリング断裂と、腓骨神経麻痺以外にもいくつもの病名が重なり、2度にわたる手術で右膝から足首にかけて14カ所にメスを入れ、100針以上も縫合し、入院は1カ月にも及んだ。耐え難い激痛と発熱、収まることのない痺れに大量の睡眠薬を投与されたが、1時間と寝ていられず、退院後も微熱が1カ月以上も続いた。
1年以上休んでも、治ることはないかもしれない。たとえ完治が可能だとしても、元三役の自分がそこまでの長期休場で番付を大きく下げても、現役でいることが許されるのか。一方で、熱心に応援してくれる人たちや身内の「もう一度、土俵に立つ姿が見たい」という期待にも応えたい。思い悩んだ末、復帰場所を幕下上位で迎えるであろう、半年後の平成27(2015)年初場所と定めた。
「まずは幕下で戦える力をつけるために頑張ろう」
懸命にリハビリやトレーニングに励んだが、回復は思いのほか進まなかった。初日2日前に開かれる番付編成会議までに出場の目途が立たず、最後にもう一度、土俵に立ちたいという未練は断ちきって引退を決意した。
「幕下上位は関取を目指す者が切磋琢磨する場所。勝てないと思っている自分が思い出作りのためにそこに立つのは、相手や土俵に対して失礼ではないか」
心の整理は到底つかなかったが、真摯に相撲に向き合ってきた、実直な男らしい決断だった。
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著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。