【平成の名力士列伝:若乃花】人懐っこい性格と「小よく大を制す」相撲で人気を博した若貴の「お兄ちゃん」横綱
平成前半の空前の相撲ブームの主役として多くの人々を魅了した若乃花 photo by Kyodo News
連載・平成の名力士列伝09:若乃花
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、平成前半の空前の相撲ブームの主役として、現在は相撲解説者として多くのファンを魅了する若乃花を紹介する。
【多くの人々を魅了した相撲内容と人間性】
「相撲なんて大嫌い。生まれ変わったら、アメリカでバスケットボールの選手になりたいよ」
平成初期、小兵ながら抜群の技能で土俵を沸かせ、空前の相撲ブームの立役者となった若貴兄弟の「お兄ちゃん」若乃花は、よくそううそぶいて記者を笑わせた。いたずらっぽい表情は実に人懐っこく、その言葉は本気とも冗談ともつかなかった。しかし、全身全霊を振り絞って戦う土俵上の姿も、満身創痍の体で力尽きた土俵人生も、そんな普段の姿からはかけ離れた、真摯で壮絶なものだった。
父は稀代の人気大関「角界のプリンス」貴ノ花で、叔父は栃錦とともに一時代を築いた名横綱「土俵の鬼」初代・若乃花。そんな家系に育った花田勝少年は、東京・明大中野中学から高校に進んで相撲部で活躍していたが、弟の光司(のち横綱・貴乃花)が中学卒業を機に角界入りすると、自らも高校を2年で中退し、父・貴ノ花の藤島部屋(のち二子山部屋)に入門。昭和63(1988)年3月場所で初土俵を踏んだ。
以来、ふたりは常に注目を集めながら番付を駆け上り、たちまち幕内上位へ進出して大活躍。その人気は社会現象ともなり、「若貴」は平成3(1991)年の新語・流行語大賞で、流行語部門の金賞に選ばれている。
寡黙で求道者の雰囲気をまとう弟に対し、兄は陽気で社交的。人懐っこい笑顔から「お兄ちゃん」の愛称で親しまれ、好感度は弟以上だった。
人気の理由は相撲内容にもあった。弟の貴乃花は右四つ寄り、上手投げの正攻法の相撲。弟より体の小さな若乃花は、そのハンデを抜群のスピードと驚異的な粘り腰、絶品のおっつけなどの卓越した技能で補った。曙、武蔵丸らの大型力士を翻弄する姿は、「小よく大を制す」という相撲の一つの醍醐味をあますことなく体現して、ファンを熱狂させた。
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著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。