2018.01.27

「オリンピック休戦」の実現へ。
平昌を前に考えるモスクワ五輪の悲劇

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko  photo by Kyodo News

1980年3月、モスクワ五輪の代表選考会で平均台の演技をする笹田(旧姓・加納)弥生さん  日本スポーツ学会代表理事の長田渚左のところに元体操女子日本代表の笹田(旧姓・加納)弥生が訪ねてきたのは昨年の8月のことであった。
 
 笹田は1978年の全日本体操競技選手権で女子個人総合優勝を飾って以来、80年代中盤にかけて日本の女子体操界の頂点に君臨した第一人者であった。長田に向かって笹田は言った。

「あのような悲劇が二度と起こらないように、2020年の東京五輪に向けて、私たちは何かできることはないでしょうか」

 笹田はそのキャリアの全盛期が、日本政府のボイコットにより幻に終わってしまった1980年のモスクワ五輪にシンクロしてしまったアスリートである。それは何の大義もないボイコットであった。発端は1979年12月に起こったソ連軍のアフガニスタン侵攻に対して、アメリカのジミー・カーター大統領が翌1980年1月にこれに抗議するという形で「ボイコットも辞さず」と言葉に出したのが始まりであった。

 これに対し当時、日本バレーボール協会の専務理事であった松平康隆はこう見解を述べている。

「カーターが、人気が低迷しているなかで、この年に行なわれる予定の大統領選挙に向けてのスタンドプレーだとピーンと来た。ナショナリズムを煽って強靭な大統領のイメージを打ち出そうとしている。汚い野郎だ」

「スポーツを政治の道具とするオリンピック憲章違反」(ともに『スポーツゴジラ13号』)

 正鵠(せいこく)を射た直感であった。(実際、これより21年後にアフガンを当のアメリカが侵攻したのは何という皮肉であろうか)