【月刊・白鵬】日馬富士の横綱昇進が、自分の心に変化をもたらした (2ページ目)

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

 その姿を見て、とにかく私は千秋楽まで日馬富士を追いかけて、優勝決定戦に持ち込まなければ......。ただ、その一心でした。もちろん、先輩横綱としての意地もありました。

 そして、全勝の日馬富士を1敗の私が追うという状況のまま迎えた千秋楽。優勝決定戦に持ち込むためには、まず本割(千秋楽結びの一番)を私が制して、14勝1敗の相星にしなければなりません。

 あの一番は、気合いが入りましたね。相撲はもつれにもつれ、最後は日馬富士の下手投げで、私は土俵に落ちました。1分47秒という攻防。敗れはしたものの、「精一杯相撲を取った」という気持ちが湧き上がってきました。

 日馬富士は場所後、第70代横綱に推挙され、新横綱が誕生しました。本当に久しぶりのことでした。一昨年の2月、朝青龍関が突如引退してからは、私が長らくひとり横綱として、力士たちを引っ張ってきました。その間、把瑠都や日馬富士らが何度か綱取りに挑戦したものの、その度に跳ね返されてしまい、私ははがゆく思っていたものです。しかしこれからは、「ふたりで(相撲界を)背負っていくんだ」と、日馬富士の横綱昇進は私の気持ちを新たにさせてくれました。

 さて、10月6日から秋巡業が始まりました。関東近郊からスタートした巡業は、そこから日本列島を南下。四国、中国地方を回って、最後は山口県宇部市までの全国12カ所で開催されます。

 以前は、本場所と本場所の間にビッシリと巡業が組まれていて、1年のうちで力士たちが東京にいる期間は半年に満たなかったと聞いています。それがここ数年は、景気の停滞などもあり、さまざまな理由で地方巡業の開催が減っています。本場所に足を運べない人たちが相撲を身近に感じられるのが、地方巡業の醍醐味。そういう機会が少なくなっているのは、個人的には残念でなりません。

 また、巡業地での昼食は、今のような支給された弁当ではなく、部屋ごとに露天でチャンコ鍋を作り、訪ねてきた後援者の方々らと一緒に鍋を囲んだそうです。それこそ「ふれあい」ですよね。今は、開催会場側の規制などで火を使うことが制限されているようなのですが、『露天チャンコ鍋』はぜひ復活してもらいたいな、と思っています。やっぱり力士は、チャンコを食べると力が出ますしね。

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