佐藤駿を襲った全日本フィギュアスケートの魔物「あれっ、なんで?」世界選手権へ「同じ失敗はしない」
【全日本だけは別の試合というか......】
過去12年間は、羽生結弦と宇野昌磨が頂点に立ち続けていたフィギュアスケートの全日本選手権男子シングル。そのふたりが競技を引退し、今大会は現役復帰の織田信成を除くと、誰が優勝しても初優勝という状況だった。
そんななか、佐藤駿(エームサービス/明治大学)に優勝のチャンスがあるという重圧が襲いかかった。2017年の初出場して以来、これまでの最高位は4位(2022年)。今回は、同学年ライバルの鍵山優真との対決が注目されていた。
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来年3月の世界選手権出場権争いにおいては、佐藤はGPファイナル3位で、ISUシーズンスコアランキングも鍵山に次ぐ日本選手2番手と、選考基準で優位に立っていた。
だが、12月20日のショートプログラム(SP)は、表情が硬かった。
「海外の大会とはまた違った緊張感で、この試合だけは別の試合というか......。本当にいつもと違う感じがしました」
SPは、GPファイナルでは4回転ルッツを転倒したが、それまでの今季3戦は90点台後半を安定して出していて、「緊張を力に変えられるようになってきました」と、本人もメンタルの成長を口にしていた。
佐藤は、肩の周りが固まったような様子で滑り出し、冒頭の4回転ルッツは前を向いた着氷となって転倒。「普段しないようなミスだったので動揺しました」。
それでも、次の4回転トーループ+3回転トーループは耐えると、シットスピンを終えてからは少し肩の硬さもほぐれてトリプルアクセルはしっかり決めた。しかしGOE(出来ばえ点)加点は全体的に抑えられ、81.90点で6位発進。想定外の結果になってしまった。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。