日本初の世界ウェルター級王者を目指す田中空 マイク・タイソンに着想を得た父・強士さんとともに歩んだこれまでとこれから
プロボクサー・田中空インタビュー後編
6月25日、4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥が在籍する大橋ボクシングジムから注目のルーキー4人組が同日にプロデビューを果たした。そのなかで、衝撃の1ラウンドTKOデビューを飾ったのが田中空である。
身長はモンスターと同じ165cmながら、主戦場は5階級上のウェルター級(66.68kg以下)のボクサー。そのスタイルは、身長170cm弱ながらヘビー級で一時代を築いたマイク・タイソンから大きく影響を受けたもの。これまでアマで実績を積んできたスーパールーキーに、プロボクサーとしてのビジョンを聞いた。
【「一番動ける階級で戦えばいい」】
小よく大を制す田中空が歩んだアマチュア5冠への道は、平坦ではなかった。武相高校時代はライトウェルター級(64kg以下)、東洋大学時代はウェルター級(67kg以下※アマチュア)が主戦場。165cmの上背は、その階級ではほかの誰よりも低かった。
試合で戦う相手は、いつも自分よりも大きな選手ばかり。身長差、リーチ差が10cm以上になることも珍しくない。3ラウンドで争うアマチュアボクシングは足を使い、『打って離れて』を繰り返す戦い方が主流だ。ダメージの深い一発よりも有効打の数で勝るほうにポイントは振られる。積極的に前へ出て行く田中のスタイルは「アマには向かない、難しい」と言われることも多かったという。
それでも、頑なにファイターにこだわり続けた。幼少期からお手本にしてきたのは、元世界ヘビー級王者のマイク・タイソン。田中はプロ入り前から口にしていた。
「タイソンのように小さくても大きい選手に勝てることを証明したい」
そもそも、なぜ小さい体で大きい相手と戦う道を選んだのか――。一般的には少しでも身長差、リーチ差で優位に立つために減量するのが当たり前になっている。しかし、田中の場合は、根本の考え方から違う。コーチ役として二人三脚で歩んできた父親の強士さんは、はっきり言う。
「昔から空は小さくてもパワーがありました。それなら、自分の持っている身体能力を100%生かすほうがいいだろうと。俺の経験上、減量するとパワーとスタミナも落ちてしまいます。空には、中学生の頃から言ってきました。自分が一番動ける階級で戦えばいいんだって。その代わり、負けても減量のせいにはできないし、言い訳はできないよって。強いライバルがいるから階級をずらすなんてこともさせないぞ、と」
中学生年代から田中の強打は、都心界隈で有名だった。スパーリングでは大人のプロボクサーを相手にしても互角以上に渡り合っていたという。ただ、アマチュアの公式戦で評判どおりに勝ち続けたかといえば、そうではない。パワーで圧倒していても、相手にうまくポイントアウトされ、判定負けすることもある。だからこそ、1ラウンドから試合を終わらせるつもりで攻めていくのだ。
本人は、苦笑しながら昔を振り返っていた。
「前に出れば出るほど、相手のパンチももらってしまうんですよ。それをいかにもらわないようにするか、たとえもらってもダメージをどう軽減するかを父と一緒に考えて、改善しながら戦っていました」
高校時代は苦心しながら全国選抜大会を2度制覇し、アジアジュニア選手権でも優勝を果たした。当時、18歳の田中は卒業後、すぐに、切った張ったの世界に飛び込むつもりだったが、父親の強士さんに諭された。
「プロの世界に行くのは簡単。だけど、結果を残して、ボクシングで生きていくのは簡単ではない。いまのままでは難しいぞ。日本チャンピオンになれるかどうかもわからないくらいだ。関東大学リーグのレベルは高い。そこで4年間、しっかり修行してからでもプロは遅くない」
もちろん、強士さんは息子の思いも理解していた。幼い頃からプロで成功することを夢見てきたのだ。不向きなアマチュアから転向し、すぐにでも勝負したがっている。それでも、現実を直視し、心を鬼にした。自らもプロボクサーとして戦い、拳一つで生きていく厳しさはよく知っている。現役時代に日本ランカーに名を連ねたが、タイトルには縁がなく、プロ戦績は7勝(4KO)7敗2分け。将来を見据える父親には、未熟なファイターの課題がはっきりと見えていた。
「大学の4年間はクリンチ対策にこだわって取り組むように言いました。絶対にプロで生きますから。いかにホールド、クリンチさせないで接近戦に持ち込めるかどうかが大事になってくるよ、と」
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著者プロフィール
杉園昌之 (すぎぞの・まさゆき)
1977年生まれ。サッカー専門誌の編集記者を経て、通信社の運動記者としてサッカー、陸上競技、ボクシング、野球、ラグビーなど多くの競技を取材した。現在はジャンルを問わずにフリーランスで活動。