【国際プロレス伝】アニマル浜口とプロレス「ナニワで運命の出会い」 (4ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports, Sano Miki

 トレーニングに熱中し、仕事を終えると毎日のようにジム通い。深夜遅くまでひとり黙々と身体づくりに励んでいる姿を、ジムの荻原稔会長は知っていた。

「見ていてくれたんですね、僕が熱心にトレーニングしているところを。ありがたかったですよ。そして、身体がますます鍛えられていったら、荻原先生がプロレスラーへの道を開いてくれたんです。なんと、荻原先生と国際プロレスの吉原社長が友人でね。あとでわかったことだけど、先生は国際プロレスの監査役もされていた。そんなこと、こっちはちっとも知らなかったから驚きでしたよ。

 当時の国際プロレスには、ストロング小林、サンダー杉山、グレート草津、ラッシャー木村の"四天王"がいましたけど、彼らに続く若手レスラーを育てなくてはいけなかった。それで、『有望な若者がいたら紹介してくれ』と、吉原社長が荻原先生に頼んでいたんでしょう。ナニワトレーニングセンターからはマイティ井上さんやデビル紫(村崎鬼三/本名・村崎昭男)さん、藤井康行さんが僕より前に国際プロレスに入っていましたから。

 そのうち、話を聞いた吉原社長が大阪府立体育館で試合があったとき、わざわざジムまで足を運んで僕を見にきてくれたんですよ。営業か何か、会社のスタッフの方も連れて。そしていきなり、『裸になって見せてくれ』と言われてね。それでOKとなった。『ルター・レンジみたいだ』と言われたのを覚えていますよ。彼は身体が頑丈なレスラーでした」

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