【ハイキュー‼×SVリーグ】ウルフドッグス小山貴稀から見た『ハイキュー‼』は「教科書」 「雑草」がSVリーガーになるまでを振り返る
ウルフドッグス名古屋 小山貴稀
(連載8:ウルフドッグス山崎彰都は月島蛍に共感 バレーは楽しくなかったのに、いつの間にか「好きになっちゃう」>>)
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「『雑草魂で頑張れ』って言われてきて、雑草なりに頑張ってきたと思います。親以外にも、いろんな人に感謝で。本当は、ここまで来られるはずがないんで......」
SVリーグの強豪ウルフドッグス名古屋のミドルブロッカー、小山貴稀は自らのキャリアをそう振り返った。
小学生の時はバスケットボールをやっていたが、中学1年でバレーボールを始めた。きっかけは「善意」。なかなか独特だ。
「兄2人はどちらもバスケで、"自分もバスケをする人生かな"と思ってやっていました。でも中学に入って、仮入部でバレーも行ってみたんです。『おもろいな』とは思いましたが、バスケ部は兄たちもいて『1年から出すから』と監督に言ってもらって......。
でも、もう一度バレー部に行った時、顧問の先生が『5人だと試合ができずに廃部になる』と。その時はなんのことかわからなくて(笑)。『親と相談します』となって、先生が怖いことも判明したんですが。"自分が廃部を助ける"と思ってバレー部に入りました(笑)」
最初のポジションは、セッターだった。もっとも、専門的な知識はない。チームも女子のほうが強く、トスも上げてもらうほどで肩身は狭かった。男子バレー部は、兵庫では「最弱」だったという。
「同期で3人が入ったんですけど、ひとりは厳しいのでやめて2人になってしまって。やめるわけにはいかないじゃないですか(笑)。その同期とは仲がよくて、『やめたい』と言うと、『やめるな、俺がひとりになる』と引き止められました。まあ、嫌いじゃないから、どのみち続けていたと思うんですけど」
高校は名門の尼崎に進学した。長身だったことで呼ばれた県内の合同練習で、たまたまスカウトの目に留まったという。それは、「善意」でバレーを続けてきたことの"御利益"だったのか。
しかし高校では、練習についていくだけで精一杯。ミドルブロッカーとしてクイックをやり出したばかりで、1年生のうちからレギュラーで試合に出られるはずもなかった。
「雑草」
彼はそう自覚し、それがアイデンティティになった。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。