【ハイキュー‼×SVリーグ】ウルフドッグス小山貴稀から見た『ハイキュー‼』は「教科書」 「雑草」がSVリーガーになるまでを振り返る

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載(9)

ウルフドッグス名古屋 小山貴稀

この記事に関連する写真を見る

「『雑草魂で頑張れ』って言われてきて、雑草なりに頑張ってきたと思います。親以外にも、いろんな人に感謝で。本当は、ここまで来られるはずがないんで......」

 SVリーグの強豪ウルフドッグス名古屋のミドルブロッカー、小山貴稀は自らのキャリアをそう振り返った。

 小学生の時はバスケットボールをやっていたが、中学1年でバレーボールを始めた。きっかけは「善意」。なかなか独特だ。

「兄2人はどちらもバスケで、"自分もバスケをする人生かな"と思ってやっていました。でも中学に入って、仮入部でバレーも行ってみたんです。『おもろいな』とは思いましたが、バスケ部は兄たちもいて『1年から出すから』と監督に言ってもらって......。

 でも、もう一度バレー部に行った時、顧問の先生が『5人だと試合ができずに廃部になる』と。その時はなんのことかわからなくて(笑)。『親と相談します』となって、先生が怖いことも判明したんですが。"自分が廃部を助ける"と思ってバレー部に入りました(笑)」

 最初のポジションは、セッターだった。もっとも、専門的な知識はない。チームも女子のほうが強く、トスも上げてもらうほどで肩身は狭かった。男子バレー部は、兵庫では「最弱」だったという。

「同期で3人が入ったんですけど、ひとりは厳しいのでやめて2人になってしまって。やめるわけにはいかないじゃないですか(笑)。その同期とは仲がよくて、『やめたい』と言うと、『やめるな、俺がひとりになる』と引き止められました。まあ、嫌いじゃないから、どのみち続けていたと思うんですけど」

 高校は名門の尼崎に進学した。長身だったことで呼ばれた県内の合同練習で、たまたまスカウトの目に留まったという。それは、「善意」でバレーを続けてきたことの"御利益"だったのか。

 しかし高校では、練習についていくだけで精一杯。ミドルブロッカーとしてクイックをやり出したばかりで、1年生のうちからレギュラーで試合に出られるはずもなかった。

「雑草」

 彼はそう自覚し、それがアイデンティティになった。

 高校2年のある大会の前、先輩が手術を受けることになり、お鉢が回ってきた。

「その前日、おばあちゃんが亡くなったんです。監督にはそれを言わずに、『(試合に集中して)頑張ろう』と。そうしたら、その大会で結果を出して個人賞も受賞したんですよ。下手なりに頑張っていましたが、おばあちゃんに感謝ですね」

 小山は優しい目で言う。高2は大きな分岐点になった。その年、アンダー世代の代表にも選出され、アジアから世界大会を経験した。

 そして大学でも第一線でプレーを続け、SVリーガーとしての今につながる。

「高校までに『バレーをやめよう』って思ったことは何回もありますよ。『やりたくない』と思うんですが、体育館に行ったら始まっちゃう(苦笑)。つらいこともありましたが、全部を笑い話にして続けました」

 今も雑草魂を燃やし、コートに立つ。

1 / 2

著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

【画像】 SVリーガーたちが選んだ『ハイキュー‼』好きなキャラクターベスト3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る