【ハイキュー‼×SVリーグ】サントリー甲斐孝太郎は生まれた時からバレー漬け 『ハイキュー‼』は「バレーを始めるきっかけにおすすめ」

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載(3)

サントリーサンバーズ大阪 甲斐孝太郎

(c)古舘春一/集英社(c)古舘春一/集英社この記事に関連する写真を見る

 両親がどっぷりバレーボールに浸かっていただけに、大げさに言えば"この世に生を受ける前から"バレーは傍にあったのかもしれない。物心ついた時にはボールを触っていた。

「4、5歳の時には、ボールを触っていたのを覚えていますね。小1の時、母親が9人制のママさんバレーをやっていて、その対戦相手でレシーブをやっていました」

 甲斐孝太郎は、そう言って自らの原点を語る。今のポジションはオポジット。昨シーズンのVリーグ王者、サントリーサンバーズ大阪のルーキーだ。

「両親がどちらもバレーをやっていたんで、子どもの頃から自然にコートに連れて行かれていました。自宅にはバレーボールが転がっていて、蹴ると父親にすごく怒られましたね(笑)。7歳でチームに正式に入って始めた時は、ちっちゃい頃から教わったりしていた"貯金"のおかげで、すごく入りやすく、やりやすかったです」

 しかし、小学校時代のチームの監督は父で、指導は厳しかった。3人レシーブ(3人でコートを守る)は、1時間以上の猛特訓。とにかく、数をこなすことが求められた。

「嫌でした(笑)」

 甲斐は正直に言うが、それで基礎ができたことも知っている。

 母親から与えられたのも、バレー中心の生活だった。

「小さい頃は、普通であればゲームとかするじゃないですか? でも、母はゲームをあまり買ってくれなかった。でもバレー用品となると、なんでもすぐ買ってくれましたが(笑)」

 甲斐家=バレー一家の図式が成り立つ。2歳下には日本代表でパリ五輪にも出場した甲斐優斗がいる。年の近い兄弟は、ライバルではない。

「弟とは遊びながら、ずっと一緒にバレーボールをやる感じでしたね。ライバルというよりも、自分も頼るし、あっちも頼るし、という関係で。『一緒にバレーをやめよう』というのは一度もなかったですが、それぞれはあったかもしれません(笑)。パリ五輪後ですか? 特に話していないです。弟とは直接会ったら話しますが、去年の12月から会っていないんで(笑)」

 それぞれの戦いがあるのだろう。昨年は、甲斐もユニバーシアード代表に選ばれ、新しい道が開けてきた。

「大学で世代別代表に選ばれて、今までやってきたことが繋がってよかったな、と思いました。ユニバ代表に選ばれる前でしたかね。大学に入ってから、高校ではやらなかったウエイトトレーニングをやり出して、プレーが変わったんです。週5、6日みっちり継続的にやったら伸びたなって」

 彼はこれからも進化し続ける。何しろ、生まれる前からバレーボールに見守られてきたのだ。

「両親がやっていたので、やめるにやめられないっていうのはありました(笑)。『バレーの楽しさはどこにあったか?』って聞かれると難しいですけど、『ほかの競技をやるか』というと、それは少しも考えなかったです。今は(SVリーグ王者に所属して)レベルが高いし、スパイクを1点決めるだけでも嬉しい。ここでも、今までのことが繋がっているんだな、と思えます」

 甲斐はそう言って無邪気に笑った。

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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