NBA伝説の名選手:ビンス・カーター バスケットを楽しみ通した「ダンク王」の衝撃と「NBAキャリア22年」の流儀

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

ダンク王、メンターとその時々の役割を果たしてきたカーター photo by Getty Imagesダンク王、メンターとその時々の役割を果たしてきたカーター photo by Getty Images

NBAレジェンズ連載19:ビンス・カーター

プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

第19回は、2024年にバスケットボール殿堂入りを果たしたビンス・カーターを紹介する。

過去の連載一覧はコチラ〉〉〉

【NBAでの成功につながる大学時代の教え】

 10月13日(日本時間14日、日付は以下同)、2024年のバスケットボール殿堂入り式典がマサチューセッツ州スプリングフィールドにあるシンフォニー・ホールで開催される。その殿堂入り選手の目玉となるのは、NBA歴代最長タイの22シーズンをコートで戦い抜いたビンス・カーター(元トロント・ラプターズほか)だ。

 1977年1月26日、父ビンス・シニア、母ミシェルのもと、フロリダ州デイトナビーチで誕生したカーターには3人のきょうだいがおり、2歳の時に初めてバスケットボールで遊んだ。その後、カーターが7歳の時に両親が離婚し、母と義父はどちらも教師という環境で育っていった。

 メインランド高校時代には高い身体能力を駆使してバスケットボールだけでなく、アメリカンフットボールやバレーボールもプレー。また、音楽にも秀でた才能があり、マーチングバンドではサックスをはじめ、トランペットとパーカッション、4年次にはドラムメジャー(指揮者)もこなすほどだった。

 その後、カーターはバスケットボールにフォーカスし、名将ディーン・スミスが指揮を執るノースカロライナ大学(UNC)へ進学。在籍3年間でいずれもNCAAトーナメント(全米大学選手権)に出場し、2、3年次にはファイナル4(準決勝)まで勝ち上がり、そのチームで主力の一角を務めた。

「スミスコーチとノースカロライナのおかげで、僕は(NBAで)22年間もプレーできた。あそこでバスケットボールというゲームを理解し、上達するために必要な聞き手になる術を学べたんだ」とカーターは言う。

 もっとも、当時UNCのベストプレーヤーはフォワードのアントワン・ジェイミソン(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)だった。ウイングポジション(シューティングガード、スモールフォワード的な役割)のカーターは身体能力こそ光るものがあったが、ジャンプショットやボールハンドリングに疑問符をつけられていたため、1998年のドラフトでは1巡目全体5位でウォリアーズから指名を受けたあと、金銭とともに4位指名のジェイミソンと交換トレードされ、リーグ下位に低迷していたトロント・ラプターズへ入団することになった。

1 / 3

著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る