【F1】角田裕毅、F3初年度はヘボチームで愚痴が止まらず「僕よりはるかに遅くて、セットアップの参考にもならない」 (2ページ目)
【日の丸・君が代が誇らしかった】
── FIA F3はチームの実力もまちまちなうえに、台数も多く、結果を残すカテゴリーというよりも、チームなりの実力を見せる場という位置づけでもありますよね。
「それでも、シーズン終盤のスパ・フランコルシャン(ベルギー)で表彰台に乗って、その次のモンツァ(イタリア)では優勝して。僕もマルコさんもビックリでしたし、マルコさんは満面の笑みで喜んでくれました。
それ以降は、いつもマルコさんの部屋で角田のレースを一緒に見るようになりました。
F3で最も印象に残っているのは、モンツァで勝った時の『日の丸』と『君が代』です。あのメインストレートの空中に浮かぶ表彰台で、真ん中に立っていても2位・3位のドライバーと同じくらいの背丈しかない子どもみたいな角田がとんでもない速さを見せた。
それを欧州のメディアが面白がっていて、僕らもすごく誇らしかった」
── そもそも、FIA F4(約180馬力)から約280馬力の旧F3(現フォーミュラ・リージョナル)を経験せずに、FIA F3(約380馬力)へのステップアップというのも大きな飛躍です。なおかつ初めてのヨーロッパというのは、今にして思えばかなりタフなチャレンジだったと言えますよね。
「今はFIA F4の次にフォーミュラ・リージョナルがあって、ホンダの加藤大翔(かとう・かいと/17歳)くんやトヨタの中村仁(なかむら・じん/19歳)くんがそこにステップアップしています。
だけど、当時はリージョナルがなかったとはいえ、角田がFIA F4からFIA F3に1年目で適応できたというのは、今思えばすごいことなんですよね。最初は『これ、速いですよ!』って言っていたけど、スポンジのような吸収力でメキメキと適応して、伸びていったんです」
(つづく)
◆角田裕毅の素顔02後編>>海外にすぐ溶け込めた「人懐っこさ」という武器
【profile】
山本雅史(やまもと・まさし)
1964年3月15日生まれ、奈良県出身。高校卒業後の1982年、本田技術研究所に入社。2016年、マネージメントの手腕を買われてホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。2019年にF1担当マネージングディレクターとなり、2020年のアルファタウリ優勝や2021年のレッドブル・ドライバーズタイトル獲得に貢献。2022年1月にホンダを退職し、現在はMASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表を務める。
著者プロフィール
米家峰起 (よねや・みねおき)
F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。
【写真】F1ウィリアムズ育成ドライバー・松井沙麗(当時13歳)インタビューカット集
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