F1ホンダは事実上「第5期」に。猛獣と呼ばれるトップが再建に自信 (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文・撮影 text & photo by Yoneya Mineoki

 そのF1での成功経験が、その後の自分を形成したと浅木は語る。

 F1から離れ量産車の開発に移った浅木は、北米市場向け『レジェンド』のV6エンジンを担当。北米市場で目の当たりにした人々の生活様式から、日本でも同じようにミニバンが売れる時代が来ると直感し、初代『オデッセイ』を提案する。既存の工場ラインで製造するために『アコード』をベースにし、その車体サイズに合わせるかたちで直列4気筒エンジンを作ってヒットさせた。

 常識から外れたことをやり、「上司にはものすごく怒られたし、冷や飯も食わされた」という浅木だが、それでも信念を曲げずに貫き通した。他社が開発に苦労していた気筒休止による低燃費エンジン制御も世界で初めて成功させ、浅木のそのスタンスはその後に配属された軽自動車部門でも遺憾なく発揮された。

 赤字で撤退すら視野に入り、立て直しは絶望的だとさえ言われていた軽自動車部門で、浅木は『N-BOX』を生み出してリーマンショックで落ち込んでいたホンダの業績を一変させるほどの大ヒットを飛ばしたのだ。

「私は変な人間で、不可能だと言われるほうが燃えるんです。周りが不可能だと言えば言うほど、チャンスだと思う。『俺じゃなきゃできないんだっていうことを証明してやる』って気持ちになる。

 その大もとになっているのは、第2期F1ですよ。難易度の高いことをやり、このままやっても勝てるかどうかわからない先の見えないなかでも、あきらめずにもがきながらやり続け、勝てるようになった。それがどういうことなのかを経験させてもらったからこそ、他のプロジェクトでも同じような感覚で挑戦できるんだと思います。

 会社が順調なときには目の前の技術に集中できる人が活躍するけど、ピンチになればなるほど『自分のチャンスだ』と思えるような変な技術者――そういう人材が生きるんです。私はそれを実践したつもりです」

 そんな浅木が抜擢されたということは、すなわちホンダのF1活動が危機に直面しているということだ。

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