検索

【欧州サッカー】バティストゥータがレアル・マドリードとミランのオファーを蹴った理由は「退屈」だったから (4ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【バティ二世は現れるのか】

 2000‐01シーズン、バティストゥータはスクデットを求めてローマに移籍。フランチェスコ・トッティ、マルコ・デルベッキオとのトリオは猛威をふるい、首都の名門に18年ぶりのスクデットをもたらしている。

 セリエAのクラブに在籍した11シーズンでふた桁ゴールは9回。1997‐98シーズンから4年連続で20ゴールの大台に到達している。通算成績318試合・183ゴール(歴代13位)。文句のつけどころがない。

 マラドーナの諸問題とも重なりアルゼンチン代表でのワールドカップ制覇はならなかった。だが、バティストゥータは1990年代を代表するワールドクラスのアタッカーといって差し支えなく、まさに「完全無欠のストライカー」「真正センターフォワード」である。

 2005年に稀代のゴールゲッターが引退したあと、世界のフットボールは変わった。ガッチガチの9番タイプはもはや希少価値、いや、絶滅危惧種か。時代が要求していない、と言ってしまえばそれまでだが、小細工を弄するタイプより、真正面から殴り合うようなストライカーのほうが見ていて心地はいい。

 いつの日か、バティストゥータ二世は現れるのだろうか。多少のチャージではボディバランスを崩さない頑健な肉体には、ゴールへの渇望が満ちあふれていた。

著者プロフィール

  • 粕谷秀樹

    粕谷秀樹 (かすや・ひでき)

    1958年、東京・下北沢生まれ。出版社勤務を経て、2001年、フリーランスに転身。プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、海外サッカー情報番組のコメンテイターを務めるとともに、コラム、エッセイも執筆。著書に『プレミアリーグ観戦レシピ』(東邦出版)、責任編集では「サッカーのある街」(ベースボールマガジン社)など多数。

【写真】あの人は今〜1994年Jリーグ得点王「オッツェ」今昔フォトギャラリー

4 / 4

キーワード

このページのトップに戻る