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【欧州サッカー】バティストゥータがレアル・マドリードとミランのオファーを蹴った理由は「退屈」だったから (2ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【もしベッカムと同僚だったら...】

 バティストゥータのセリエA初年度は13ゴール。マルコ・ファン・バステン(ミラン)の25ゴール、ロベルト・バッジョ(ユベントス)の18ゴール、フランチェスコ・バイアーノ(フォッジャ)の16ゴール、カレッカ(ナポリ)の15ゴールに次ぎ、得点王ランキングは5位タイに食い込んでいる。デビューシーズンにしては上々の出来といっていい。

 フィオレンティーナは3シーズン連続の12位に終わったものの、バティストゥータは確かなポテンシャルを披露した。しかし......。

 プロの世界は弱肉強食だ。1992-93シーズン、フィオレンティーナはセリエB降格の憂き目に遭う。バティストゥータは得点王ランキング5位タイの16ゴールを挙げながら、クラブを救えなかった。

 当然、周囲は騒がしくなる。移籍を前提とする情報が乱れ飛んだ。ファン・バステンが度重なる故障で苦しむミランは、バティストゥータの獲得に積極的とも噂されていた。

 公式・非公式を問わず、多くのオファーが届いていたに違いない。彼の突出した得点力は、ありとあらゆるクラブが欲していた。バティストゥータ本人も述懐する。

「レアル・マドリード、マンチェスター・ユナイテッド、ミランからオファーを受け取った。でも、マドリードとミランはかなり退屈だと聞いていたし、マンチェスター・Uには興味がなかった」

 そうだったのか。マンチェスター・Uに興味なしとは......。無理もない。20年ほど前のプレミアリーグ草創期だ。世界最高峰と言われていた当時のセリエAに比べるとレベルは低い。レアル・マドリードやミランも「退屈」と表現するバティストゥータには、役不足だったのだろう。

 だが、デビッド・ベッカムの右足から放たれる正確無比のクロスをヘディングでズドン! 30ゴールは取れたよなぁ。

 セリエBでのプレーを選ぶも、どっぷりとは浸からなかった。フィオレンティーナは1994-95シーズンにセリエAに復帰し、バティストゥータの火力も炸裂する。

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