大病も患った細貝萌が振り返る20年間のプロ生活――世界を渡り歩いた彼の支えになっていたものとは?
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現役引退インタビュー(後編)
2010年から始まった海外でのキャリアは、計9シーズンに及んだ。所属したのは、ドイツのアウクスブルク、レバークーゼン、ヘルタ・ベルリン、トルコのブルサスポル、ドイツのシュツットガルト。その後、2017年に一旦はJリーグに復帰し、柏レイソルで2シーズンを戦い、2019年には再び海外へ。タイのブリーラム・ユナイテッド、バンコク・ユナイテッドを渡り歩く。
「浦和レッズでの6シーズン、僕はずっとドイツ人監督のもとでプレーしたこともあり、若い頃から外国人監督に評価してもらっている自分を感じ取っていました。彼らが理想とするサッカーや求められる仕事を通しても、漠然とですが、ヨーロッパのほうが向いているのかもしれない、外国籍監督に合うプレースタイルなんだろうな、と考えることも多かった。事実、彼らのサッカーでは、ハードワークや守備といった自分のストロングポイントを発揮しやすかったし、そこを評価されていると感じることも多かったです」
もっともその事実は、下平隆宏監督のもとで戦った柏での2シーズンを否定するものではない、と細貝は言う。実際、出場機会はそう多くはなかったものの、子どもの頃に大野敏隆を通して憧れた黄色のユニフォームに身を包んだ時間も、キャリアを語るうえでは欠かせない、大切な記憶として刻まれている。
「正直、柏での2シーズンは輝けなかったと自覚しています。でも、だからいい時間じゃなかったとは思っていません。あの苦しんだ時間があったから、タイへのチャレンジができ、タイでの充実した時間につながった。
それは、ヨーロッパ時代にも言えることで......ドイツやトルコの時間がどれも順風満帆だったわけではないし、正直悩んだ時期もあります。でもその時々で、この道だ、このクラブだ、と選んだのは自分に他ならないので。責任を持ってその選択を正解だと言えるものにしようと思っていたし、自分が厳しい局面に立たされた時ほど、それを自分に言い聞かせていました」
実は、その柏からブリーラムへの移籍を決めたタイミングで、細貝は人生をも左右するような大きな出来事に直面している。2018年のシーズン終盤から胃もたれのような症状が続いていたことを受け、シーズン終了後すぐに「タイに渡る前に胃薬だけでももらっておこうかな」と病院を訪れたところ、医師から『膵(すい)のう胞性腫瘍(SPN)』と診断されたのだ。まさかの宣告に頭のなかは真っ白になった。
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