満員の国立競技場で蘇る昨季昇格プレーオフの「事件」の記憶 微妙な判定に異を唱えるメディアはなかった (3ページ目)
【ガス抜きの役割を果たさないメディア】
だが、筆者が看過できないのは監督の采配ではなく、やはりメディアのほうだ。染野対高橋のシーンは、地元メディア以外でも取り沙汰されなければならない案件なのである。このネット社会だ。メディアがそれを怠れば、グラウンド外において必要以上に盛り上がること必至。ネットへの書き込みが陰湿だとされる日本人である。選手や審判に向けて誹謗中傷が横行したとしても不思議はない。メディアの役割はそのガス抜きになることだ。
筆者が欧州取材を始めたのは1980年代後半になるが、そこで真っ先に受けたカルチャーショックが、テレビスポーツニュースが報じる審判判定への是非だった。映像をこれでもかというほど執拗にスローで繰り返し再生し、評論家らがああだ、こうだと論じあう光景は、日本在住者には衝撃的なものとして映った。
審判は当たり前のように毎週、ヤリ玉に挙がっていた。ただし、それは誹謗中傷ではない。健全なる批判だ。欧州の審判のレベルは、だからこそ高かった。そして何より知名度が高かった。チャンピオンズリーグを裁く主審などはとりわけ高名で、スター性があった。日本の審判とはステイタスの次元が違っていた。
欧州ではテレビのスポーツニュースがガス抜きの役を果たしていた。判定には異を唱えようとしない日本のテレビ局とは心意気が違っていた。「微妙ですね」のひと言でおしまいにしようとするその曖昧な態度に、ネットは業を煮やしたかのように過剰に反応する。欧州人がそれを見れば、やはり陰湿だと言うだろう。
DAZNで毎週、レギュラー番組として配信されていた『Jリーグジャッジリプレイ』は、そういう意味で画期的な番組だった。発端は協会のホームページ上で原博実元専務理事が中心になって始まった企画だったという。欧州にたびたび足を運び、おそらく同じカルチャーショックを味わったと思われる原氏らしい発想である。
だがその『Jリーグジャッジリプレイ』も今年、あっさり番組の幕を閉じた。いろいろな意味で堪えられなかったのかもしれない。これまた見逃すことができない、暗い社会を象徴する一件である。残念と言わざるを得ない。
生死を懸けた一発勝負の昇格POで、PKか否か、意見が分かれる微妙な判定が下されても、誰も異を唱えようとしない。この不健全さは、いまの日本社会を象徴する一件だと筆者は見る。
著者プロフィール
杉山茂樹 (すぎやましげき)
スポーツライター。静岡県出身。得意分野はサッカーでW杯取材は2022年カタール大会で11回連続。五輪も夏冬併せ9度取材。著書に『ドーハ以後』(文藝春秋)、『4-2-3-1』『バルサ対マンU』(光文社)、『3-4-3』(集英社)、『日本サッカー偏差値52』(じっぴコンパクト新書)、『「負け」に向き合う勇気』(星海社新書)、『監督図鑑』(廣済堂出版)、『36.4%のゴールはサイドから生まれる』(実業之日本社)など多数。
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