サッカー日本代表「元・三銃士」堂安律はまったくの別人になった「自分は意外と気を遣える選手」
中国相手に7-0で勝利──。ワールドカップ最終予選とは思えない緊迫感のなさは、森保ジャパンの出来のよさというよりも、対戦相手の力不足ばかりが目立ったもの足りない試合に感じられた。
堂安律のコメントにも、どこか余裕が感じられた。
「緊張感はありましたよね。アップの時からかなり要求し合って、全員でできたので」
相手に拍子抜けというよりも、4年前の轍(てつ)を踏まないよう、自分たちの戦いに矛先を向けて試合をしていた。
森保ジャパン立ち上げ当初に「三銃士」と呼ばれた南野拓実と堂安律 photo by Ushijima Hisatoこの記事に関連する写真を見る カタールワールドカップを目指した前回の最終予選は、ホームでオマーン相手にまさかの黒星スタート。堂安は「直前にメダルマッチを演じた東京五輪からの流れをA代表に......」と意気込んだ若手側の一員だった。だが、それは簡単ではなかった。
「自分たちの『やってやる』という気持ちと、ベテランの方々からしたら『お前ら緊張感ないぞ』っていう思いとが、あった」
堂安自身はオマーン戦で途中出場したのを最後に、負傷していた期間も含め5試合出場なし。次の出場は年が明けた2022年1月の中国戦まで待たねばならなかった。
森保ジャパンが立ち上がった2018年頃は、南野拓実、中島翔哉とともに2列目で躍動して「三銃士」と呼ばれ、新時代の象徴のように扱われたひとりだった。だが、いざワールドカップ最終予選という初めて戦う厳しい舞台になると、一歩レベルを上げきれず苦しんだのが当時の堂安だった。
今回は、先発のピッチにも立った。3-4-3システムの右ウィングバックでプレーし、攻守に高い運動量を発揮した。3トップの右でプレーする久保建英を生かしながら、自身も時折ゴール前に顔を出した。
三銃士と呼ばれたころの勢い任せにゴールに向かう印象は、すでにない。だが、あらためて献身性が光る、言ってみればまったく別の選手になったという印象だ。
この中国戦で堂安が一番腐心したのは、右サイドでコンビを組む久保建英を生かすこと。左利き同士、右サイドでの「感じ合える」関係性のなかで久保の攻撃性を生かすことが、ふたりがともに「生きる」という感覚だという。
1 / 2
著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。