パリオリンピック男子サッカー 主将・藤田譲瑠チマの想い「みんなと戦えてよかった」
信じて疑わなかった金メダルへの戦いは、想像よりもはるかに厳しかった。
大岩剛監督率いるパリ五輪代表は、準々決勝でスペインに0-3で敗れ、大会を去った。1次リーグは3戦全勝、しかも無失点。5月にアジア王者になったことで掴んだ自信を、さらに強める3戦だった。だが、そんな自信も希望も打ち砕く、実力差とスコアだった。
人目をはばからず号泣する藤田譲瑠チマ photo by Watanabe Kojiこの記事に関連する写真を見る ピッチに倒れ込んで号泣したのは、藤田譲瑠チマと小久保玲央ブライアンのふたり。
藤田は大岩監督とハグ、言葉をかけられ、ようやく立ち上がって仲間と合流した。小久保は、相手選手や味方選手に起こされてもなかなか立ち上がることができないほど嗚咽していた。自分たちへの期待と、それまでに得ていた手応えは涙に変わった。
主将という立場だけでなく、明らかに主軸としてチームをひっぱり、ワンランク上のプレーを見せた藤田。突出したポジショニングのよさと視野の広さで、ボールを回収・展開し、攻守にチームを機能させたのも藤田だった。
「優勝を目指してやってきたが、本当にスペインは強かった。もっとできなくてはいけなかったし、本当に情けないけど、みんなとここまで戦えてよかった。みんなチームのことを愛していて、チームのために戦える集団だった。
それをみなさんに決勝戦、そして優勝まで見せたかった。まだまだ強くなる必要があると感じている。こういう強いチームに負けないように、個人としても強くなる必要があると思う。上のリーグ、上のレベルでサッカーをして成長したい」
上のレベルで、と願うのは当然のこと。あとは、そのチャンスがいつ来るかだ。この夏の移籍市場は、まだ終わっていない。
藤田は、キャプテンであることに居心地の悪さを感じているようにも見えた。だが、東京ヴェルディ時代からの盟友・山本理仁は「なんだかんだ言って、キャプテンはやっぱり彼なんです」と語る。
アジア予選では記者会見に英語でチャレンジし、言葉に詰まればその場で通訳に頼む柔軟な姿勢とハートの強さも印象的だった。藤田は言う。
「こういう立場になることは(五輪世代より下の)育成年代ではなかった。すばらしい経験をさせてもらった。最後まで仲間に助けられた、というのが正直な気持ちですけど、キャプテンをやってよかった」
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著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。