パリ五輪代表・佐藤恵允インタビュー 久保建英は同世代の「とんでもないヤツ」
パリから世界に羽ばたく若武者たち(1)
U-23日本代表FW
佐藤恵允インタビュー(前編)
オーバーエイジなし、サプライズなし──。これまでの活躍ぶりや実績から考えて、極めて手堅いメンバーが選考された印象のある大岩ジャパン。
それでも巷(ちまた)の声はさまざまで、佐藤恵允は自身への"アンチ"の意見も目にしたという。佐藤は終始明るく、自身がメンバー入りしたこと、パリ五輪のこと、そして欧州でのこれまでとこれからについて語ってくれた。
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佐藤恵允がパリ五輪直前に心境を語ってくれた photo by Hara Etsuoこの記事に関連する写真を見る── パリ五輪代表メンバー入り、おめでとうございます。
「ありがとうございます」
── メンバー発表会見は、ドイツ時間で朝7時でした。会見は見ていたのですか?
「起きて見ていました。ただ、最近の代表でのパフォーマンスから『自分は選ばれないな』っていう感じがあったので、正直、選ばれた時は驚きが一番でした」
── そうなのですか。
「自分は8割方、選ばれないだろうなと思っていたので、本当に驚きました」
── 誰かに連絡はしたのですか?
「連絡というか、(山本)理仁と(小久保玲央)ブライアンの3人のグループLINEで会話をしながら見ていて。『佐藤恵允』って言われて、僕が驚いているその瞬間に、理仁とブライアンから電話がきました。『君、しぶといねー』って(笑)」
── 選ばれない可能性が高いと、みんな思っていたのですかね。
「いやー(笑)。それだけに、今まで一緒にやった仲間を想ってというか......。メンバー発表のあとに(山田)楓喜から連絡がきたんですよ。僕が選ばれたことに対して『なんで?』みたいな世間の声があって、それを見た楓喜が『チームのみんなはケインのこと、すごく理解しているし、評価してくれているから、がんばれよ』って。それがすごく助かって......いや、本当に泣きそうでしたよ」
── どのように返したのですか?
「それがやっぱりちょっと難しくて、『その言葉、すごい、本当に助かる、ありがとう。お互いがんばろう』ってくらいしか返せなかったですね」
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著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。