三戸舜介はパリ五輪メンバーに生き残れるか 左・右ウイング、インサイド...たった18人の構成枠にはうってつけ

  • 了戒美子●取材・文 text by Ryokai Yoshiko

 U-23日本代表が6月11日に行なわれたU-23アメリカ代表戦をもって、パリ五輪メンバー発表前最後の合宿を打ち上げた。

 4〜5月下旬に行なわれたアジア最終予選メンバーを軸に、今回のアメリカ遠征にはクラブ事情などで予選に参加することのできなかった選手たちも加わった。三戸舜介もそのひとりだ。

U-23アメリカ代表戦でゴールに関与した三戸舜介 photo by AFLOU-23アメリカ代表戦でゴールに関与した三戸舜介 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 三戸は2022年3月のチーム立ち上げメンバーでこそないものの、同年5月のキャンプに招集されて以降、常に招集されてきた。だが、今年1月にオランダのスパルタ・ロッテルダムに移籍したこともあり、3〜5月の代表活動には招集されなかった。

 ポジションとしては、かつて所属していたアルビレックス新潟では左ウイングで、日本代表では左のインサイドハーフで、そしてスパルタでの半年間は右ウイングでの勝負が求められた。結果、攻撃的MFのポジションであればどこでもプレーできるようになり、五輪代表にはうってつけの選手になった。

 というのも、五輪代表はたった18人で構成される。FIFAの大会では通常23人で構成されるが、それと比べても一段と少なく、練習で紅白戦さえ行なうことのできない人数だ。

 メンバー選考の考え方も、自ずと方向性が変わってくる。ひとつのポジションで光るスペシャリストと、ひとりで複数ポジションをこなすユーティリティ性の高い、いわゆるポリバレントな選手を比べたら、後者が重宝されると考えるのが自然だ。攻撃的なポジションを網羅する三戸は、そんな五輪代表の選考事情にぴったりくる。

 合宿最終日のアメリカ戦で、三戸はスパルタと同じく右ウイングで先発した。システムは4-3-3で、アンカーに藤田譲瑠チマ、インサイドハーフに山本理仁と荒木遼太郎、右に三戸、左に斉藤光毅、フォワードは藤尾翔太という並びだった。

荒木が退いた68分、三戸は川崎とともにインサイドハーフでプレーし、右に平河悠、左に佐藤恵允という並びに変わった。三戸が交代する81分までの約13分間は、この形が続いた。

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プロフィール

  • 了戒美子

    了戒美子 (りょうかい・よしこ)

    1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。

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