日本サッカーの名コンビと言えば? 懐かしいペアから、納得の2人組まで (6ページ目)

  • photo by AFLO

史上最高のゴール製造マシンとして機能したコンビ
後藤健生氏(サッカージャーナリスト)

1位:釜本邦茂&ネルソン吉村(ヤンマーディーゼル)
2位:金田喜稔&木村和司(日産自動車)
3位:中田英寿&岡野雅行(日本代表)
4位:藤田俊哉&名波浩(ジュビロ磐田)
5位:吉田麻也&冨安健洋(日本代表)

 日本にやって来た初のブラジル人選手がネルソン吉村(のちに日本国籍を取得)。柔らかいタッチは日本中を驚かせた。ヤンマーディーゼルでコンビを組んだのは、日本史上最高のストライカー釜本邦茂。「柔の吉村と剛の釜本」は、日本サッカー史上最高のゴール製造マシンとして機能した。

 広島県工出身のテクニシャン金田喜稔と木村和司は、大学を経て日産自動車で再びコンビを組んだ。代表で初めて同時にプレーしたのは1980年暮れに香港で行なわれたスペインW杯予選。金田のドリブルや木村のFKに、地元の観客からも大歓声があがった。

 1997年に行なわれたフランスW杯第3代表決定戦の延長戦。中田英寿が繰り出す鋭いキラーパスにも岡野雅行は俊足を飛ばして容易に追いつき、イラン守備陣を切り裂いたのだが、予選初登場の岡野は決めきれない。延長後半13分、ヒデは岡野に見切りをつけたかのように自らシュート。GKがはじいたボールを岡野が押し込んで、日本サッカーの歴史が動いた。28分間限定の名コンビだった。

 清水商が生んだ先輩後輩の藤田俊哉と名波浩。2人は大学を経てジュビロ磐田で再びコンビを組む。感覚的な藤田と理詰めの名波という肌合いの違いがあったからこそ、2人のファンタジスタは共存できたのだろう。

 吉田麻也と冨安健洋は今後数年、日本代表を背負って立つであろうセンターバックコンビだ。2人はイングランドでのキャリアと交錯するように、同時期に守備の文化を持つイタリアでプレーした。その共通の経験が2人の関係性を強化した。

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